覚うべきのみ。これを吸煙の上達と称し、世人の実験においてあまねく知るところなり。ひとしく同一の煙草にして、はじめはこれを喫して美なりしもの、今はかえって口に不快を覚えしむ。然らばすなわちこの麁葉《そよう》は、最初に美を呈したるに非ず、ただ我が当時の口にてこれを美と称し快楽と思いしのみ。すなわち人生の働《はたらき》の一ヵ条たる喫煙も、その力よく発達すれば、わずかに数日の間に苦楽の趣《おもむき》を異《こと》にするの事実を見るべし。
 ゆえに天下泰平・家内安全の快楽も、これを身に享《う》くる人の心身発達して、その働を高尚の域にすすむるときは、古代の平安は今世の苦痛不快たることあるべし。余輩のいわゆる平安とは、精神も形体もともに高尚に達して、この高尚なる心身に応じて平安なるものを平安と名づくるなり。すなわちこの平安を目的とするところの教育の旨《むね》は、人生の働の一ヵ条をも空しゅうせずして快楽を得んとするにあり。足るを知るを勧むるにあらず、足らざるを知りてこれを足すの道を求むるにあるものなり。野蛮の無為《むい》、徳川の泰平の如きは、平安と称すべからざるのみならず、かえってこれを苦痛不快と認めざ
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