ぎこう》以上の民をもって人類のとどまるところとなすべし。近くは我が徳川政府二百五十余年の泰平の如きは、すなわち至善至美ならんとの説もあれども、この説は事物の末を見て、その本《もと》を知らざる者のみ。野蛮の無為、徳川の泰平の如きは、当時その人民の心身、安《あん》はすなわち安なりといえども、その安は身外の事物、我に向って愉快を呈するに非ず。外の事物の性質にかかわらずして、我が心身にこれを愉快なりと思うものにすぎず。すなわち万民|安堵《あんど》、腹を鼓《こ》して足《た》るを知ることなれども、その足るを知るとは、他《た》なし、足らざるを知らざりしのみ。
たとえば往古《おうこ》支那にて、天子の宮殿も、茆茨《ぼうし》剪《き》らず、土階《どかい》三等《さんとう》、もって安しというといえども、その宮殿は真実安楽なる皇居に非ず。かりに帝堯《ていぎょう》をして今日にあらしめなば、いかに素朴節倹なりといえども、段階に木石を用い、屋《おく》もまた瓦をもって葺《ふ》くことならん。また徳川の時代に、江戸にいて奥州《おうしゅう》の物を用いんとするに、飛脚《ひきゃく》を立てて報知して、先方より船便《ふなびん》に運送
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