れば、天の約束というも、人為《じんい》の習慣というも、そのへんはこれを人々《にんにん》の所見にまかして問うことなしといえども、ただ平安を好むの一事にいたりては、古今人間の実際に行われて違《たが》うことなきを知るべきのみ。しからばすなわち教育の目的は平安にありというも、世界人類の社会に通用して妨《さまたげ》あることなかるべし。
そもそも今日の社会に、いわゆる宗旨なり、徳教なり、政治なり、経済なり、その所論おのおの趣《おもむき》を一にせずして、はなはだしきは相互《あいたがい》に背馳《はいち》するものもあるに似たれども、平安の一義にいたりては相違《あいたが》うなきを見るべし。宗旨・徳教、何のためにするや。善を勧めて精神の平安をいたすのみ。政治、何のためにするや。悪を懲《こ》らし害を防ぎて、もって心身の平安を助くるのみ。経済、何のためにするや。人工を便利にして形体の平安を増すのみ。されば平安の主義は人生の達するところ、教育のとどまるところというも、はたして真実|無妄《むもう》なるを知るべし。
人あるいはいわく、天下泰平・家内安全をもって人生教育の極度とするときは、野蛮|無為《むい》、羲昊《
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