り、規則あり。すなわちその約束規則は自家の安全をはかるものより外ならず。しかのみならず、この法外の輩が、たがいにその貧困を救助して仁恵を施し、その盗みたる銭物を分つに公平の義を主とし、その先輩の巨魁《きょかい》に仕えて礼をつくし、窃盗を働くに智術をきわめ、会同・離散の時刻に約を違《たが》えざる等、その局処についてこれをみれば、仁義礼智信を守りて一社会の幸福を重んずる者の如し。ゆえに平安の主義は、法外の仲間にも行われて、有力なるものといわざるをえざるなり。
また、血気《けっき》の輩《はい》が、ただ社会の騒動を企望《きぼう》して変を好み、自己の利益をもかえりみずして妄《みだり》に殺伐をこととするは、平安の主義にもとるが如くなれども、つまびらかにその内情を察すれば、必ず名利のためより外ならざるを発明すべし。名利とは何ぞや。他なし、自己の幸福、社会の安全に関係するところのものなれども、ただ審判の力に乏しくして、あるいは事の成《せい》を期すること急に過ぎ、あるいはその事を施行《しこう》すること劇《げき》に過ぎて、心事の本色を現わすこと能わざるのみ。
たとえば少年の勇士が死を決して自から快と称する者あれども、その快たるや、ただ絶命のみをもって快とするに非ず。その時の事情をいえば、本人の心に企《くわだ》つるところの事は大に過ぎて、これに応ずべき自己の力は小にして足らず、その大小の平均を得るに路なきがために、無上の宝たる一命をもて己《おの》が企つるところの事に殉じ、いささかその情を慰めて、もって快と称するものなり。けだしこの類《たぐい》の愉快は、形体に関係なくして精神に属す。形体にありては安楽と称し、精神にありては愉快という。その文字|異《こと》なりといえども、結局平安の主義に洩れざるものなり。
また、今の我が日本にて新政府を建て、今日もっぱら社会の平安を欲して焦思苦慮《しょうしくりょ》する者は誰ぞや。十余年前にありては、しきりに世の多事を好み騒動を企望して余念なかりし血気の士人に非ずや。その士人の中には殺伐無状、人を殺し家を焼き、およそ社会の平安を害すべき事なれば一も避くるところなく、ついに身を容《い》るるの地なきにいたれば、快と称して死につきし者もあり。幸にして死にいたらざりし者が、今の地位にいて事をとるのみ。すなわち昔日《せきじつ》は乱を好み、今日は治を欲する者なり。
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