時に出席する官員ならびに年寄は、試業のことと、立会のことと両様を兼ぬるなり。
小学の科を五等に分ち、吟味を経て等《とう》に登り、五等の科を終る者は中学校に入るの法なれども、学校の起立いまだ久しからざれば、中学に入る者も多からず。ただし俊秀の子女は、いまだ五科を経ざるも中学に入れ、官費をもって教うるを法とす。目今この類の者、男子八人、女子二人あり。内一人は府下|髪結《かみゆい》の子なりという。
各校にある筆道、句読、算術師のほかに、巡講師なる者あり。その数およそ十名。六十四校を順歴して毎校に講席を設くること一月六度、この時には区内の各戸より必ず一人ずつ出席して講義を聴かしむ。その講ずるところの書は翻訳書を用い、足らざるときは漢書をも講じ、ただ字義を説くにあらず、断章取義、もって文明の趣旨を述ぶるを主とせり。
小学校の費用は、はじめ、これを建つるとき、その半《なかば》を官よりたすけ、半は市中の富豪より出だして、家を建て書籍《しょじゃく》を買い、残金は人に貸して利足《りそく》を取り、永く学校の資《し》となす。また、区内の戸毎《こごと》に命じて、半年に金一|歩《ぶ》を出ださしめ、貸金の利
前へ
次へ
全8ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
福沢 諭吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング