女工場《じょこうじょう》と唱《となう》るものあり。英国の教師夫婦を雇い、夫《おっと》は男子を集めて英語を授け、婦人は児女をあずかりて、英語の外にかねてまた縫針《ほうしん》の芸を教えり。外国の婦人は一人なれども、府下の婦人にて字を知り女工に長ずる者七、八名ありて、その教授を助けり。
 この席に出でて英語を学び女工を稽古する児女百三十人余、七、八歳より十三、四歳、華士族の子もあり、商工平民の娘もあり。おのおの貧富にしたがって、紅粉《こうふん》を装い、衣裳を着け、その装《よそおい》潔《きよ》くして華ならず、粗にして汚れず、言語|嬌艶《きょうえん》、容貌温和、ものいわざる者も臆《おく》する気なく、笑わざるも悦ぶ色あり。花の如く、玉の如く、愛すべく、貴むべく、真に児女子の風を備えて、かの東京の女子が、断髪素顔、まちだかの袴《はかま》をはきて人を驚かす者と、同日の論にあらざるなり。
 この学校は中学の内にてもっとも新《あらた》なるものなれば、今日の有様にて生徒の学芸いまだ上達せしにはあらざれども、その温和柔順の天稟《てんぴん》をもって朝夕英国の教師に親炙《しんしゃ》し、その学芸を伝習し、その言行を聞見し、愚痴《ぐち》固陋《ころう》の旧習を脱して独立自主の気風に浸潤することあらば、数年の後、全国無量の幸福をいたすこと、今より期して待つべきなり。
 小学校の教師は、官の命をもって職に任ずれども、給料は町年寄の手より出ずるがゆえに、その実は官員にあらず、市井《しせい》に属する者なり。給料は、区の大小、生徒の多寡によりて一様ならず。多き者は一月金十二、三両、少き者は三、四両。官員にて中小学校にかかわる者は、俗務の傍に、あるいは自己の志をもって教授を兼ぬる者多し。総員二十名を出でず。等級によりて月給同じからず。多きは七十両、少なきは十五両乃至二十両、平均一人につき二十五両に過ぎず。二十人にて一月五百両なり。官の費用少くして事務よく整うものというべし。
 明治五年|申《さる》四月学校出版の表によるに、中小学校の生徒一万五千八百九十二人、男女の割合およそ十と八とに等し。年皆七、八歳より十三、四歳。いまより十年を過ぎなば、童子は一家の主人となりて業を営み、女子は嫁《か》して子を生み、生産の業、世間に繁昌し、子を教うるの道、家に行われ、人間の幸福、何物かこれに比すべけん。今年すでに一万五千の数あ
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