時に出席する官員ならびに年寄は、試業のことと、立会のことと両様を兼ぬるなり。
 小学の科を五等に分ち、吟味を経て等《とう》に登り、五等の科を終る者は中学校に入るの法なれども、学校の起立いまだ久しからざれば、中学に入る者も多からず。ただし俊秀の子女は、いまだ五科を経ざるも中学に入れ、官費をもって教うるを法とす。目今この類の者、男子八人、女子二人あり。内一人は府下|髪結《かみゆい》の子なりという。
 各校にある筆道、句読、算術師のほかに、巡講師なる者あり。その数およそ十名。六十四校を順歴して毎校に講席を設くること一月六度、この時には区内の各戸より必ず一人ずつ出席して講義を聴かしむ。その講ずるところの書は翻訳書を用い、足らざるときは漢書をも講じ、ただ字義を説くにあらず、断章取義、もって文明の趣旨を述ぶるを主とせり。
 小学校の費用は、はじめ、これを建つるとき、その半《なかば》を官よりたすけ、半は市中の富豪より出だして、家を建て書籍《しょじゃく》を買い、残金は人に貸して利足《りそく》を取り、永く学校の資《し》となす。また、区内の戸毎《こごと》に命じて、半年に金一|歩《ぶ》を出ださしめ、貸金の利足に合《がっ》して永続の費《ついえ》に供せり。ただし半年一歩の出金は、その家に子ある者も子なき者も一様に出ださしむる法なり。金銀の出納《すいとう》は毎区の年寄にてこれを司り、その総括をなす者は総年寄《そうとしより》にて、一切官員のかかわるところにあらず。
 前条の如く、毎半年各戸に一歩の金を出ださしむるは官の命なれども、この金を用《もちう》るにいたりては、その権まったく年寄の手にあり。この法はウェーランド氏経済書中の説に暗合せるものなり。
 小学生徒の数、毎校少なきものは七十人より百人、多きものは二百人より三百人余。学校の内、きわめて清楚、壁に疵《きず》つくる者なく、座を汚す者なく、妄語せず、乱足せず、取締の法、ゆきとどかざるところなし。かつ学校の傍《かたわら》にその区内町会所の席を設け、町役人出張の場所となして、町用を弁ずるの傍に生徒の世話をも兼ぬるゆえ、いっそうの便利あるなり。
 四所の中学校には、外国人を雇い、英仏|日耳曼《ゼルマン》の語学を教えり。その法は東京・大坂に行わるるものと大同小異。毎校生徒の数、男女百人より二百人、その費用はまったく官より出《い》ず。中学校の内、英学|
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