を設立するにも、真に旧藩地一般のためにするの事実明白にして、何等の陋眼《ろうがん》をもってこれを視《み》るも、上士を先《さき》にするというべからず、下士を後《のち》にするというべからず、その目的とするところは正《まさ》しく中津旧藩の格式りきみを制し、これを制了して共《とも》に与《とも》に日本社会の虚威《きょい》を圧倒せんとするもののごとくにして、藩士のこの学校に帰《き》すると否《いな》とはその自然に任《まか》したりしに、士族の上下に別なく漸《ようや》く学に就《つ》く者多く、なかんずく上等士族の有力なる人物にて、その子弟を学校に入るる者も少なからず。
 すでに学校に心を帰《き》すれば、門閥《もんばつ》の念も同時に断絶してその痕跡《こんせき》を見るべからず。市学校は、あたかも門閥の念慮《ねんりょ》を測量《そくりょう》する試験器というも可《か》なり。(余輩《よはい》もとより市学校に入らざる者を見て悉皆《しっかい》これを門閥守旧の人というに非ず。近来は市校の他に学校も多ければ、子弟のために適当の場所を選ぶは全く父母の心に存することにして、これがため、敢《あえ》てその人物を軽重《けいちょう》するにはあらざれども、真に市校に心を帰して疑わざる者は、果して門閥の念を断絶する人物なるが故に、本文のごとくこれを証するのみ。)下等士族の輩《はい》が上士に対して不平を抱《いだ》く由縁《ゆえん》は、専《もっぱ》ら門閥|虚威《きょい》の一事に在《あり》て、然《しか》もその門閥家の内にて有力者と称する人物に向《むかっ》て敵対の意を抱《いだ》くことなれども、その好敵手《こうてきしゅ》と思う者が首《しゅ》として自《みず》から門閥の陋習《ろうしゅう》を脱したるが故に、下士は恰《あたか》も戦わんと欲して忽《たちま》ち敵の所在を失《うしな》うたる者のごとし。敵のためにも、味方のためにも、双方共に無上の幸《さいわい》というべし。故にいわく、市学校は旧中津藩の僥倖《ぎょうこう》を重ねて固くして真の幸福となしたるものなり。
 余輩《よはい》の所見《しょけん》をもって、旧中津藩の沿革《えんかく》を求め、殊《こと》に三十年来、余が目撃と記憶に存する事情の変化を察すれば、その大略、前条のごとくにして、たとい僥倖にもせよ、または明《あきらか》に原因あるにもせよ、今日旧藩士族の間に苦情争論の痕跡《こんせき》を見ざるは事実において明白なり。(今年数十名の藩士が脱走《だっそう》して薩《さつ》に入りたるは、全くその脱走人限りのことにして、爾余《じよ》の藩士に関係あることなし。)然《しか》りといえども、今日の事実かくのごとくにして、果して明日の患《うれい》なきを期すべきや。これを察せざるべからず。今日の有様を以て事の本位と定め、これより進むものを積極となし、これより退《しりぞ》くものを消極となし、余輩をしてその積極を望ましむれば期《き》するところ左《さ》のごとし。
 すなわち今の事態を維持《いじ》して、門閥の妄想《もうそう》を払い、上士は下士に対して恰《あたか》も格式りきみの長座《ちょうざ》を為《な》さず、昔年のりきみは家を護り面目《めんもく》を保つの楯《たて》となり、今日のりきみは身を損《そん》じ愚弄《ぐろう》を招《まね》くの媒《なかだち》たるを知り、早々にその座を切上げて不体裁《ぶていさい》の跡を収め、下士もまた上士に対して旧怨《きゅうえん》を思わず、執念《しゅうねん》深きは婦人の心なり、すでに和するの敵に向うは男子の恥《はず》るところ、執念《しゅうねん》深きに過ぎて進退《しんたい》窮《きゅう》するの愚《ぐ》たるを悟《さと》り、興《きょう》に乗じて深入りの無益たるを知り、双方共にさらりと前世界の古証文《ふるしょうもん》に墨《すみ》を引き、今後《こんご》期《き》するところは士族に固有《こゆう》する品行の美《び》なるものを存して益《ますます》これを養い、物を費《ついや》すの古吾《こご》を変じて物を造るの今吾《こんご》となし、恰《あたか》も商工の働《はたらき》を取《とっ》て士族の精神に配合し、心身共に独立して日本国中文明の魁《さきがけ》たらんことを期望《きぼう》するなり。
 然《しか》りといえども、その消極を想像してこれを憂《うれ》うれば、また憂うべきものなきに非ず。数百年の間、上士は圧制を行い、下士は圧制を受け、今日に至《いたり》てこれを見れば、甲は借主《かりぬし》のごとく乙は貸主《かしぬし》のごとくにして、未《いま》だ明々白々の差引《さしひき》をなさず。また上士の輩《はい》は昔日の門閥を本位に定めて今日の同権を事変と視做《みな》し、自《おのず》からまた下士に向《むかっ》て貸すところあるごとく思うものなれば、双方共に苟《いやしく》も封建の残夢を却掃《きゃくそう》して精神を高尚の地位に保つこと能《あた》わざる者より以下は、到底《とうてい》この貸借《たいしゃく》の念を絶つこと能わず。現に今日にても士族の仲間《なかま》が私《わたくし》に集会すれば、その会の席順は旧《もと》の禄高または身分に従うというも、他に席順を定むべき目安《めやす》なければ止《や》むを得ざることなれども、残夢《ざんむ》の未《いま》だ醒覚《せいかく》せざる証拠なり。或は市中公会等の席にて旧套《きゅうとう》の門閥流《もんばつりゅう》を通用せしめざるは無論なれども、家に帰れば老人の口碑《こうひ》も聞き細君《さいくん》の愚痴《ぐち》も喧《かまびす》しきがために、残夢《ざんむ》まさに醒《さ》めんとしてまた間眠《かんみん》するの状なきにあらず。これ等《ら》の事情をもって考《かんがう》るに、今の成行きにて事変なければ格別なれども、万に一も世間に騒動《そうどう》を生じて、その余波近く旧藩地の隣傍に及ぶこともあらば、旧痾《きゅうあ》たちまち再発して上士と下士とその方向を異《こと》にするのみならず、針小《しんしょう》の外因よりして棒大《ぼうだい》の内患を引起すべきやも図るべからず。
 しかのみならず、たといかかる急変なくして尋常《じんじょう》の業に従事するも、双方互に利害情感を別にし、工業には力をともにせず、商売には資本を合《がっ》せず、却《かえっ》て互に相《あい》軋轢《あつれき》するの憂《うれい》なきを期すべからず。これすなわち余輩の所謂《いわゆる》消極の禍《わざわい》にして、今の事態の本位よりも一層の幸福を減ずるものなり。けだし人事の憂患《ゆうかん》、消極の域内に在るの間は、未《いま》だその積極を謀《はか》るに遑《いとま》あらざるなり。
 今消極の憂《うれい》を憂《うれえ》てこれを防ぐにもせよ、積極の利を謀《はかっ》てこれを求《もとむ》るにもせよ、旧藩地にて有力なる人物は必ずこれを心配することならん、またこれを心配して実地に従事するについては様々の方便もあらん、また様々の差支《さしつかえ》もあらん、不如意《ふにょい》は人生の常にしてこれを如何《いかん》ともすべからず。故に余輩の注意するところは、未《いま》だ積極に及ばずして先ずその消極の憂を除くの路《みち》に進まんと欲するなり。すなわちその路《みち》とは他《た》なし、今の学校を次第《しだい》に盛《さかん》にすることと、上下士族|相互《あいたがい》に婚姻《こんいん》するの風を勧《すすむ》ることと、この二箇条のみ。
 そもそも海を観《み》る者は河を恐れず、大砲を聞く者は鐘声《しょうせい》に驚かず、感応《かんのう》の習慣によって然《しか》るものなり。人の心事とその喜憂《きゆう》栄辱《えいじょく》との関係もまた斯《かく》のごとし。喜憂栄辱は常に心事に従《したがっ》て変化するものにして、その大《おおい》に変ずるに至《いたっ》ては、昨日の栄《えい》として喜びしものも、今日は辱《じょく》としてこれを憂《うれう》ることあり。学校の教は人の心事を高尚《こうしょう》遠大《えんだい》にして事物の比較をなし、事変の原因と結果とを求めしむるものなれば、一聞一見も人の心事を動かさざるはなし。
 地理書を見れば、中津の外に日本あり、日本の外に西洋諸国あるを知るべし。なお進《すすみ》て、天文地質の論を聞けば、大空《たいくう》の茫々《ぼうぼう》、日月《じつげつ》星辰の運転に定則あるを知るべし。地皮の層々、幾千万年の天工に成りて、その物質の位置に順序の紊《みだ》れざるを知るべし。歴史を読めば、中津藩もまたただ徳川時代三百藩の一のみ。徳川はただ日本一島の政権を執《と》りし者のみ。日本の外には亜細亜《アジア》諸国、西洋諸洲の歴史もほとんど無数にして、その間には古今《ここん》英雄|豪傑《ごうけつ》の事跡《じせき》を見るべし。歴山《アレキサンダー》王、ナポレオンの功業を察し、ニウトン、ワット、アダム・スミスの学識を想像すれば、海外に豊太閤《ほうたいこう》なきに非ず、物徂徠《ぶつそらい》も誠に東海の一小先生のみ。わずかに地理歴史の初歩を読むも、その心事はすでに旧套《きゅうとう》を脱却《だっきゃく》して高尚ならざるを得ず。いわんや彼《か》の西洋諸大家の理論書を窺《うかが》い、有形の物理より無形の人事に至るまで、逐一《ちくいち》これを比較分解して、事々物々の原因と結果とを探索《たんさく》するにおいてをや。読《よみ》てその奥に至れば、心事《しんじ》恍爾《こうじ》としてほとんど天外に在《あ》るの思《おもい》をなすべし。この一段に至《いたり》て、かえりみて世上の事相を観《み》れば、政府も人事の一小区のみ、戦争も群児の戯《たわむれ》に異《こと》ならず、中津旧藩のごとき、何《なん》ぞこれを歯牙《しが》に止《とむ》るに足《た》らん。
 彼《か》の御広間《おひろま》の敷居《しきい》の内外を争い、御目付部屋《おめつけべや》の御記録《ごきろく》に思《おもい》を焦《こが》し、※[#「弗+色」、第3水準1−90−60]然《ふつぜん》として怒り莞爾《かんじ》として笑いしその有様《ありさま》を回想すれば、正《まさ》にこれ火打箱《ひうちばこ》の隅《すみ》に屈伸《くっしん》して一場の夢を見たるのみ。しかのみならず今日に至《いたり》ては、その御広間もすでに湯屋《ゆや》の薪《たきぎ》となり、御記録も疾《と》く紙屑屋《かみくずや》の手に渡りたるその後において、なお何物に恋々《れんれん》すべきや。また今の旧下士族が旧上士族に向い、旧時の門閥《もんばつ》虚威《きょい》を咎《とが》めてその停滞《ていたい》を今日に洩《も》らさんとするは、空屋《あきや》の門に立《たち》て案内を乞《こ》うがごとく、蛇《へび》の脱殻《ぬけがら》を見て捕《とら》えんとする者のごとし。いたずらに自《みず》から愚《ぐ》を表《あらわ》して他《た》の嘲《あざけり》を買うに過ぎず。すべて今の士族はその身分を落したりとて悲しむ者多けれども、落すにも揚《あぐ》るにも結局物の本位を定めざるの論なり。平民と同格なるはすなわち下落ならんといえども、旧主人なる華族《かぞく》と同席して平伏《へいふく》せざるは昇進《しょうしん》なり。下落を嫌《きら》わば平民に遠ざかるべし、これを止《と》むる者なし。昇進を願わば華族に交《まじわ》るべし、またこれを妨《さまたぐ》る者なし。これに遠ざかるもこれに交《まじわ》るも、果してその身に何の軽重《けいちょう》を致すべきや。これを是《こ》れ知らずして自《みず》から心を悩《なや》ますは、誤謬《ごびゅう》の甚《はなはだ》しき者というべし。故に有形なる身分の下落《げらく》昇進《しょうしん》に心を関せずして、無形なる士族固有の品行を維持《いじ》せんこと、余輩の懇々《こんこん》企望《きぼう》するところなり。ただこの際において心事の機を転ずること緊要にして、そのこれを転ずるの器械は、特に学校をもって有力なるものとするが故に、ことさらに藩地徳望の士君子《しくんし》に求め、その共《とも》に尽力して学校を盛《さかん》にせんことを願うなり。
 中津の旧藩にて、上下の士族が互に婚姻《こんいん》の好《よしみ》を通《つう》ぜざりしは、藩士社会の一大欠典にして、その弊害《へいがい》はほとんど人心の底に根拠して
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