動かすべからざるもののごとし。今日に至《いたり》ては稀《まれ》に上下相婚する者もなきに非ざれども、今後ますますこの路を開くべきの勢《いきおい》を見ず。上士の残夢|未《いま》だ醒《さ》めずして陰《いん》にこれを忌《い》むものあれば、下士は却《かえっ》てこれを懇望《こんぼう》せざるのみならず、士女の別《べつ》なく、上等の家に育《いく》せられたる者は実用に適せず、これと婚姻を通ずるも後日《ごじつ》生計《せいけい》の見込なしとて、一概に擯斥《ひんせき》する者あり。一方は婚を以て恩徳《おんとく》のごとく心得、一方はその徳を徳とせずしてこれを賤《いや》しむの勢《いきおい》なれば、出入《しゅつにゅう》の差、甚《はなは》だ大にして、とても通婚《つうこん》の盛《さかん》なるべき見込あることなし。
然《しか》りといえども、世の中の事物は悉皆《しっかい》先例に傚《なら》うものなれば、有力の士は勉《つと》めてその魁《さきがけ》をなしたきことなり。婚姻はもとより当人の意に従《したがっ》て適不適もあり、また後日生計の見込もなき者と強《し》いて婚《こん》すべきには非ざれども、先入するところ、主となりて、良偶《りょうぐう》を失うの例も少なからず。親戚《しんせき》朋友《ほうゆう》の注意すべきことなり。一度《ひとた》び互に婚姻すればただ双方|両家《りょうけ》の好《よしみ》のみならず、親戚の親戚に達して同時に幾家の歓《よろこび》を共にすべし。いわんや子を生み孫を生むに至ては、祖父を共にする者あり、曾祖父を共にする者あり、共に祖先の口碑《こうひ》をともにして、旧藩社会、別に一種の好情帯を生じ、その功能《こうのう》は学校教育の成跡《せいせき》にも万々《ばんばん》劣《おと》ることなかるべし。
底本:「明治十年丁丑公論・瘠我慢の説」講談社学術文庫、講談社
1985(昭和60)年3月10日第1刷発行
1998(平成10)年2月20日第10刷発行
※旧字の「與・餘・竊」は、底本のママとしました。
入力:kazuishi
校正:田中哲郎
2006年11月7日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全11ページ中11ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
福沢 諭吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング