禄制を適宜《てきぎ》にしたるが故《ゆえ》に、諸藩に普通なる家禄平均の災《わざわい》を免《まぬ》がれたるなり。然《しか》りといえども常禄の外に所得の減じたるものもまた甚《はなは》だ大なり。中津藩歳入の正味《しょうみ》はおよそ米にして五万石余、このうち藩士の常禄として渡すものは二万石余に過ぎずして、残《のこり》およそ三万石は藩主家族の私用と藩の公用に供するものなり。
この公用とは所謂《いわゆる》公儀《こうぎ》(幕府のことなり)の御勤《おつとめ》、江戸|藩邸《はんてい》の諸入費、藩債《はんさい》の利子、国邑《こくゆう》にては武備《ぶび》城普請《しろぶしん》、在方《ざいかた》の橋梁《きょうりょう》、堤防《ていぼう》、貧民《ひんみん》の救済手当、藩士文武の引立《ひきたて》等、これなり。名は藩士の所得に関係なきがごとくなれどもその実《じつ》は然らず。譬《たと》えば江戸|汐留《しおどめ》の藩邸を上|屋舗《やしき》と唱《とな》え、広さ一万坪余、周囲およそ五百|間《けん》もあらん。類焼《るいしょう》の跡にてその灰を掻《か》き、仮《かり》に松板を以て高さ二間|許《ばか》りに五百間の外囲《そとがこい》をなすに、天保《てんぽう》時代の金にておよそ三千両なりという。この他、平日にても普請《ふしん》といい買物といい、また払物《はらいもの》といい、経済の不始末《ふしまつ》は諸藩同様、枚挙《まいきょ》に遑《いとま》あらず。もとより江戸の町人職人の金儲《かねもうけ》なれども、その一部分は間接に藩中一般の賑《にぎわい》たらざるを得ず。また国邑《こくゆう》にて文武の引立《ひきたて》といえば、藩士の面々《めんめん》は書籍《しょじゃく》も拝借《はいしゃく》、馬も鉄砲も拝借なり。借用の品を用いて無月謝の教師に就《つ》く、これまた大なる便利なり。なかんずく役人の旅費ならびに藩士一般に無利足《むりそく》拝借金|歟《か》、または下《く》だされ切りのごときは、現に常禄の外に直接の所得というべし。また藩の諸役所にて公然たる賄賂《わいろ》の沙汰《さた》は稀《まれ》なれども、自《おのず》から役徳《やくとく》なるものあり。江戸大阪の勤番より携《たずさえ》帰《かえ》る土産《みやげ》の品は、旅費の残《のこり》にあらざれば所謂《いわゆる》役徳を積《つみ》たるものより外ならず。
俗官《ぞっかん》汚吏《おり》はしばらく擱《さしお》
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