の禁止の言中、おのずから政治の意味あるを知る者なれば、ただ口にこそ政《まつりごと》を談ぜざれども、その成跡《せいせき》はあたかも政談を談ぜざるの政党たるべきのみ。
元来政治の主義・針路を殊にするは、異宗旨の如きものにして、たとえば今、法華宗《ほっけしゅう》の僧侶が衆人に向いて、念仏を唱うるなかれというのみにて、あえて自家の題目を唱えよと勧むるには非ざるも、その念仏を禁ずるの際に、法華宗に教化《きょうげ》せんとするの意味は十分に見るべきが如し。結局、学校の生徒をして政治社外に教育せんとするには、その首領なる者が、真実に行政の外にありて、中心より無偏・無党なるに非ざれば、かなわざることと知るべし。真実に念仏を禁じて仏法の念なからしめんと欲せば、念仏も禁じ題目も禁ずるか、または念仏も題目も、ともに嫌忌《けんき》せずして勝手に唱えしめ、ただ一身の自家宗教を信ぜずして、これを放却《ほうきゃく》するの外に方略あるべからず。
首領の心事と地位と、実に偏党なきにおいては、その学校に何の書を読み何事を談ずるも、なんらの害をもなさざるのみならず、学問の本色において、社会の現事に拘泥《こうでい》すること
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