りというべし。
 過日、『時事新報』の社説にもいえる如く(一月一一日社説)、我が開国の初め攘夷論の盛なる時にあたりても、洋学者流が平生より西洋諸国の事情を説きて、あたかも日本人に開国の養生法を授けたるに非ずんば、我が日本は鎖国攘夷病に斃《たお》れたるやも計るべからず。学問の効力、その洪大《こうだい》なることかくの如しといえども、その学者をしてただちに今日の事にあたらしめんとするも、あるいは実際の用をなさざること、世界古今の例に少なからず。摂生学《せっせいがく》専門の医師にして当病の治療に活溌ならざるものと一様の道理ならん。
 されば、学問と政治とはまったくこれを分離して相互に混同するを得せしめざること、社会全面の便利にして、その双方の本人のためにもまた幸福ならん。西洋諸国にても、執政の人が文学の差図して世の害をなし、有名なる碩学《せきがく》が政壇に上りて人に笑われたるの例もあり。また、我が封建の諸藩において、老儒先生を重役に登用して何等の用もなさず、かえって藩土のために不都合を起して、その先生もついに身を喪《ほろぼ》したるもの少なからず。ひっきょう、摂生法と治療法と相混じたるの罪という
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