らず。『女大学』の文によれば、亭主は酒を飲み、女郎に耽《ふけ》り、妻をののしり子を叱りて、放蕩淫乱を尽くすも、婦人はこれに従い、この淫夫《いんぷ》を天のごとく敬い尊み、顔色を和らげ、悦ばしき言葉にてこれを意見すべしとのみありて、その先の始末をば記さず。さればこの教えの趣意は、淫夫にても姦夫《かんぷ》にてもすでに己《おの》が夫と約束したるうえは、いかなる恥辱を蒙《こうむ》るもこれに従わざるをえず、ただ心にも思わぬ顔色を作りて諫《いさ》むるの権義あるのみ。その諫めに従うと従わざるとは淫夫の心次第にて、すなわち淫夫の心はこれを天命と思うよりほかに手段あることなし。
 仏書に罪業深き女人ということあり。実にこの有様を見れば、女は生まれながら大罪を犯したる科人《とがにん》に異ならず。また一方より婦人を責むることはなはだしく、『女大学』に婦人の七去とて、「淫乱なれば去る」と明らかにその裁判を記せり。男子のためには大いに便利なり。あまり片落ちなる教えならずや。畢竟、男子は強く婦人は弱しというところより、腕の力を本《もと》にして男女上下の名分を立てたる教えなるべし。
 右は姦夫淫婦の話なれども、またこ
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