居する世界には通用すべきはずなり。仮りにその一例を挙げて言わん。禁裏さまは公方《くぼう》さまよりも貴きものなるゆえ、禁裏さまの心をもって公方さまの身を勝手次第に動かし、行かんとすれば「止《と》まれ」と言い、止まらんとすれば「行け」と言い、寝るも起きるも飲むも食うもわが思いのままに行なわるることなからん。公方さまはまた手下の大名を制し、自分の心をもって大名の身を自由自在に取り扱わん。大名はまた自分の心をもって家老の身を制し、家老は自分の心をもって用人の身を制し、用人は徒士《かち》を制し、徒士は足軽を制し、足軽は百姓を制するならん。
 さて百姓に至りてはもはや目下の者もあらざれば少し当惑の次第なれども、元来この議論は人間世界に通用すべき当然の理に基づきたるものなれば、百万遍の道理にて、回れば本《もと》に返らざるを得ず。「百姓も人なり、禁裏さまも人なり、遠慮はなし」と御免を蒙り、百姓の心をもって禁裏さまの身を勝手次第に取り扱い、行幸あらんとすれば「止まれ」と言い、行在《あんざい》に止まらんとすれば「還御《かんぎょ》」と言い、起居眠食、みな百姓の思いのままにて、金衣玉食を廃して麦飯を進むるなど
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