しが、四編に至り少しく文の体を改めてあるいはむずかしき文字を用いたるところもあり。またこの五編も明治七年一月一日、社中会同の時に述べたる詞《ことば》を文章に記したるものなれば、その文の体裁も四編に異ならずしてあるいは解《げ》し難きの恐れなきにあらず。畢竟《ひっきょう》四、五の二編は学者を相手にして論を立てしものなるゆえ、この次第に及びたるなり。
 世の学者はおおむねみな腰ぬけにてその気力は不慥《ふたし》かなれども、文字を見る眼はなかなか慥かにして、いかなる難文にても困る者なきゆえ、この二冊にも遠慮なく文章をむずかしく書きその意味もおのずから高上になりて、これがためもと民間の読本たるべき学問のすすめの趣意を失いしは、初学の輩《はい》に対してはなはだ気の毒なれども、六編より後はまたもとの体裁に復《かえ》り、もっぱら解しやすきを主として初学の便利に供しさらに難文を用いることなかるべきがゆえに、看官この二冊をもって全部の難易を評するなかれ。

   明治七年一月一日の詞

 わが輩今日慶応義塾にありて明治七年一月一日に逢《あ》えり。この年号はわが国独立の年号なり、この塾はわが社中独立の塾なり。
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