しもって衛生の法を守れども、不文の日本人はすなわちこの理を知らず」と。日本人は寝屋の内に尿瓶《しびん》を置きてこれに小便を貯《たくわ》え、あるいは便所より出でて手を洗うことなく、洋人は夜中といえども起きて便所に行き、なんら事故あるも必ず手を洗うの風ならば、論者評して言わん、「開化の人は清潔を貴ぶの風あれども、不開化の人民は不潔の何ものたるを知らず、けだし小児の智識いまだ発生せずして汚潔を弁ずること能《あた》わざる者に異ならず、この人民といえどもしだいに進んで文明の域に入らば、ついには西洋の美風に倣《なら》うことあるべし」と。洋人は鼻汁を拭うに毎次紙を用いて直ちにこれを投棄し、日本人は紙に代わるに布を用い、したがって洗濯してしたがってまた用うるの風ならば、論者たちまち頓智を運《めぐ》らし、細事を推して経済論の大義に付会して言わん、「資本に乏しき国土においては、人民みずから知らずして節倹の道に従うことあり。日本全国の人民をして鼻紙を用うること西洋人のごとくならしめなば、その国財の幾分を浪費すべきはずなるに、よくその不潔を忍んで布を代用するは、みずから資本の乏しきに迫られて節倹に赴くものと言
前へ
次へ
全187ページ中158ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
福沢 諭吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング