然りといえどもこの少年が先生の風を擬するのあまりに、先生の夜話に耽《ふけ》りて朝寝するの癖をも学び得て、ついに身体の健康を害することあらば、これを智者と言うべきか。けだしこの少年は先生を見て十全の学者と認め、その行状の得失を察せずして悉皆これに倣わんとし、もってこの不幸に陥りたるものなり。
 支那の諺に、「西施《せいし》の顰《ひそ》みに倣う[#「顰《ひそ》みに倣う」は底本では「顰《ひそみ》みに倣う」]」ということあり。美人の顰みはその顰みの間におのずから趣ありしがゆえにこれに倣いしことなればいまだ深く咎むるに足らずといえども、学者の朝寝になんの趣あるや。朝寝はすなわち朝寝にして、懶惰《らんだ》不養生の悪事なり。人を慕うのあまりにその悪事に倣うとは笑うべきのはなはだしきにあらずや。されども今の世間の開化者流にはこの少年の輩《はい》はなはだ少なからず。
 仮りに今、東西の風俗習慣を交易して開化先生の評論に付し、その評論の言葉を想像してこれを記さん。西洋人は日に浴湯して日本人の浴湯は一月わずかに一、二次ならば、開化先生これを評して言わん、「文明開化の人民はよく浴湯して皮膚の蒸発を促《うなが》
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