ゆえん》はこれを得るの手段難ければなり。私《ひそか》に案ずるに、今の学者あるいはその難を棄《す》てて易きにつくの弊あるに似たり。昔封建の世においては、学者あるいは所得あるも、天下の事みなきりつめたる有様にて、その学問を施すべき場所なければ、やむをえずして学びしうえにもまた学問を勉め、その学風はよろしからずといえども、読書に勉強して、その博識なるは今人《こんじん》の及ぶところにあらず。今の学者はすなわち然らず。したがって学べばしたがってこれを実地に施すべし。たとえば洋学生、三年の修業をすればひととおりの歴史・窮理書を知り、すなわち洋学教師と称して学校を開くべし、また人に雇われて教授すべし、あるいは政府に仕えて大いに用いらるべし。なおこれよりも易きことあり。当時流行の訳書を読み、世間に奔走して内外の新聞を聞き、機に投じて官につけば、すなわち厳然たる官員なり。かかる有様をもって風俗を成さば、世の学問はついに高尚の域に進むことなかるべし。筆端少しく卑劣にわたり、学者に向かいて言うべきことにあらずといえども、銭の勘定をもってこれを説かん。学塾に入りて修業するには一年の費《つい》え百円に過ぎず、三
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