る『モラル・サイヤンス』という書に、人の身心の自由を論じたることあり。その論の大意にいわく、人の一身は他人と相離れて一人前《いちにんまえ》の全体をなし、みずからその身を取り扱い、みずからその心を用い、みずから一人を支配して、務むべき仕事を務むるはずのものなり。ゆえに、第一、人にはおのおの身体あり。身体はもって外物に接し、その物を取りてわが求むるところを達すべし。譬《たと》えば種を蒔《ま》きて米を作り、綿を取りて衣服を製するがごとし。第二、人にはおのおの智恵あり。智恵はもって物の道理を発明し、事を成すの目途を誤ることなし。譬えば米を作るに肥《こや》しの法を考え、木綿を織るに機《はた》の工夫をするがごとし。みな智恵分別の働きなり。
 第三、人にはおのおの情欲あり。情欲はもって心身の働きを起こし、この情欲を満足して一身の幸福をなすべし。たとえば人として美服美食を好まざる者なし。されどもこの美服美食はおのずから天地の間に生ずるものにあらず。これを得んとするには人の働きなかるべからず。ゆえに人の働きはたいていみな情欲の催促を受けて起こるものなり。この情欲あらざれば働きあるべからず、この働きあらざれば安楽の幸福あるべからず。禅坊主などは働きもなく幸福もなきものと言うべし。
 第四、人にはおのおの至誠の本心あり。誠の心はもって情欲を制し、その方向を正しくして止まるところを定むべし。たとえば情欲には限りなきものにて、美服美食もいずれにて十分と界《さかい》を定め難し。今もし働くべき仕事をば捨て置き、ひたすらわが欲するもののみを得んとせば、他人を害してわが身を利するよりほかに道なし。これを人間の所業と言うべからず。この時に当たりて欲と道理とを分別し、欲を離れて道理の内に入らしむるものは誠の本心なり。第五、人にはおのおの意思あり。意思はもって事をなすの志を立つべし。譬えば世の事は怪我の機《はずみ》にてできるものなし。善き事も悪き事もみな人のこれをなさんとする意ありてこそできるものなり。
 以上、五つのものは人に欠くべからざる性質にして、この性質を自由自在に取り扱い、もって一身の独立をなすものなり。さて独立といえば、ひとり世の中の偏人奇物にて世間の付合いもなき者のように聞こゆれども、けっして然らず。人として世に居《お》れば、もとより朋友なかるべからずといえども、その朋友もまたわれに交わりを
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