も行なわれ工業も起こりて、一般の安全繁盛を致すべしとの目的あらば、討死も敵討ちも尤《もっと》ものようなれども、事柄においてけっしてその目的あるべからず。
 かつかの忠臣義士にもそれほどの見込みはあるまじ。ただ因果ずくにて旦那へ申し訳までのことなるべし。旦那へ申し訳にて命を棄てたる者を忠臣義士と言わば、今日も世間にその人は多きものなり。権助が主人の使いに行き、一両の金を落として途方に暮れ、旦那へ申し訳なしとて思案を定め、並木の枝にふんどしを掛けて首を縊《くく》るの例は世に珍しからず。今この義僕がみずから死を決する時の心を酌《く》んで、その情実を察すれば、また憐れむべきにあらずや。使いに出でていまだ帰らず、身まず死す。長く英雄をして涙を襟《えり》に満たしむべし。主人の委託を受けてみずから任じたる一両の金を失い、君臣の分を尽くすに一死をもってするは、古今の忠臣義士に対して毫《ごう》も恥ずることなし。その誠忠は日月とともに燿《かがや》き、その功名は天地とともに永かるべきはずなるに、世人みな薄情にしてこの権助を軽蔑し、碑の銘を作りてその功業を称する者もなく、宮殿を建てて祭る者もなきはなんぞや。人みな言わん、「権助の死はわずかに一両のためにしてその事の次第はなはだ些細なり」と。然りといえども事の軽重は金高の大小、人数の多少をもって論ずべからず、世の文明に益あると否とによりてその軽重を定むべきものなり。しかるに今かの忠臣義士が一万の敵を殺して討死するも、この権助が一両の金を失うて首を縊るも、その死をもって文明を益することなきに至りてはまさしく同様のわけにて、いずれを軽しとしいずれを重しとすべからざれば、義士も権助もともに命の棄てどころを知らざる者と言いて可なり。これらの挙動をもってマルチルドムと称すべからず。余輩の聞くところにて、人民の権義を主張し正理を唱えて政府に迫り、その命を棄てて終わりをよくし、世界中に対して恥ずることなかるべき者は、古来ただ一名の佐倉宗五郎《さくらそうごろう》あるのみ。ただし宗五郎の伝は俗間に伝わる草紙の類のみにて、いまだその詳《つまび》らかなる正史を得ず。もし得ることあらば他日これを記してその功徳を表し、もって世人の亀鑑《きかん》に供すべし。
[#改段]

 八編



   わが心をもって他人の身を制すべからず

 アメリカのエイランドなる人の著わした
前へ 次へ
全94ページ中39ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
福沢 諭吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング