害を被ることなし。その正論あるいは用いられざることあるも、理のあるところはこの論によりてすでに明らかなれば、天然の人心これに服せざることなし。ゆえに今年に行なわれざればまた明年を期すべし。かつまた力をもって敵対するものは一を得んとして百を害するの患《うれ》いあれども、理を唱えて政府に迫るものはただ除くべきの害を除くのみにて他に事を生ずることなし。その目的とするところは政府の不正を止むるの趣意なるがゆえに、政府の処置、正に帰すれば議論もまたともにやむべし。また力をもって政府に敵すれば、政府は必ず怒りの気を生じ、みずからその悪を顧みずしてかえってますます暴威を張り、その非を遂げんとするの勢いに至るべしといえども、静かに正理を唱うる者に対しては、たとい暴政府といえどもその役人もまた同国の人類なれば、正者の理を守りて身を棄つるを見て必ず同情相憐れむの心を生ずべし。すでに他を憐れむの心を生ずれば、おのずから過《あやま》ちを悔い、おのずから胆を落として、必ず改心するに至るべし。
 かくのごとく世を患《うれ》いて身を苦しめあるいは命を落とすものを、西洋の語にてマルチルドムという。失うところのものはただ一人の身なれども、その功能は千万人を殺し千万両を費やしたる内乱の師《いくさ》よりもはるかに優《まさ》れり。古来日本にて討死《うちじに》せし者も多く切腹せし者も多し、いずれも忠臣義士とて評判は高しといえども、その身を棄てたる所以を尋ぬるに、多くは両主政権を争うの師に関係する者か、または主人の敵討《かたきう》ちなどによりて花々しく一命を抛《なげう》ちたる者のみ。その形は美に似たれどもその実は世に益することなし。己《おの》が主人のためと言い己が主人に申し訳なしとて、ただ一命をさえ棄つればよきものと思うは不文不明の世の常なれども、いま文明の大義をもってこれを論ずれば、これらの人はいまだ命の棄てどころを知らざる者と言うべし。元来、文明とは、人の智徳を進め、人々《にんにん》身《み》みずからその身を支配して世間相交わり、相害することもなく害せらるることもなく、おのおのその権義を達して一般の安全繁盛を致すを言うなり。さればかの師《いくさ》にもせよ敵討ちにもせよ、はたしてこの文明の趣意に叶《かな》い、この師に勝ちてこの敵を滅ぼし、この敵討ちを遂げてこの主人の面目を立つれば、必ずこの世は文明に赴き、商売
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