に疑いを容れたるその原因を尋ぬれば、はじめて国を開きて西洋諸国に交わり、かの文明の有様を見てその美を信じ、これに倣《なら》わんとしてわが旧習に疑いを容れたるものなれば、あたかもこれを自発の疑いと言うべからず。ただ旧を信ずるの信をもって新を信じ、昔日は人心の信、東にありしもの、今日はそこを移して西に転じたるのみにして、その信疑の取捨|如何《いかん》に至りては、はたして適当の明あるを保すべからず。余輩いまだ浅学寡聞、この取捨の疑問に至り、いちいち当否を論じてその箇条を枚挙する能わざるは、もとよりみずから懺悔するところなれども、世事転遷の大勢を察すれば、天下の人心この勢いに乗ぜられて、信ずるものは信に過ぎ、疑うものは疑いに過ぎ、信疑ともにその止まるところの適度を失するものあるは明らかに見るべし。左にその次第を述べん。
 東西の人民、風俗を別にし情意を異にし、数千百年の久しき、おのおのその国土に行なわれたる習慣は、たとい利害の明らかなるものといえども、とみにこれを彼に取りて是《これ》に移すべからず、いわんやその利害のいまだ詳《つまび》らかならざるものにおいてをや。これを採用せんとするには千思万慮歳月を積み、ようやくその性質を明らかにして取捨を判断せざるべからず。しかるに近日世上の有様を見るに、いやしくも中人以上の改革者流、あるいは開化先生と称する輩は、口を開けば西洋文明の美を称し、一人これを唱うれば万人これに和し、およそ智識、道徳の教えより治国、経済、衣食住の細事に至るまでも、悉皆《しっかい》西洋の風を慕うてこれに倣わんとせざるものなし。あるいはいまだ西洋の事情につきその一斑をも知らざる者にても、ひたすら旧物を廃棄してただ新をこれ求むるもののごとし。なんぞそれ事物を信ずるの軽々にして、またこれを疑うの粗忽《そこつ》なるや。西洋の文明はわが国の右に出ずること必ず数等ならんといえども、けっして文明の十全なるものにあらず。その欠点を計《かぞ》うれば枚挙に遑《いとま》あらず。彼の風俗ことごとく美にして信ずべきにあらず、我の習慣ことごとく醜にして疑うべきにあらず。
 譬《たと》えばここに一少年あらん。学者先生に接してこれに心酔し、その風に倣わんとしてにわかに心事を改め、書籍を買い、文房の具を求めて、日夜机に倚《よ》りて勉強するはもとより咎《とが》むべきにあらず。これを美事と言うべし。
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