不都合なるに似たれども、一身の私徳において恵与の心はもっとも貴ぶべく最も好《よ》みすべきものなり。譬《たと》えば天下に乞食を禁ずるの法はもとより公明正大なるものなれども、人々の私において乞食に物を与えんとするの心は咎むべからず。人間万事算盤を用いて決定すべきものにあらず、ただその用ゆべき場所と用ゆべからざる場所とを区別すること緊要なるのみ。世の学者、経済の公論に酔いて仁恵の私徳を忘るるなかれ。
[#改段]

 十五編



   事物を疑いて取捨を断ずること

 信の世界に偽詐《ざさ》多く、疑いの世界に真理多し。試みに見よ、世間の愚民、人の言を信じ、人の書を信じ、小説を信じ、風聞を信じ、神仏を信じ、卜筮《ぼくぜい》を信じ、父母の大病に按摩《あんま》の説を信じて草根木皮を用い、娘の縁談に家相見《かそうみ》の指図を信じて良夫を失い、熱病に医師を招かずして念仏を申すは阿弥陀如来《あみだにょらい》を信ずるがためなり。三七日の断食に落命するは不動明王《ふどうみょうおう》を信ずるがゆえなり。この人民の仲間に行なわるる真理の多寡を問わば、これに答えて多しと言うべからず。真理少なければ偽詐多からざるを得ず。けだしこの人民は事物を信ずといえども、その信は偽を信ずる者なり。ゆえにいわく、「信の世界に偽詐多し」と。
 文明の進歩は、天地の間にある有形の物にても、無形の人事にても、その働きの趣を詮索して真実を発明するにあり。西洋諸国の人民が今日の文明に達したるその源を尋ぬれば、疑いの一点より出でざるものなし。ガリレオが天文の旧説を疑いて地動を発明し、ガルハニが蟆《がま》の脚の※[#「てへん+畜」、第3水準1−84−85]搦《ちくじゃく》するを疑いて動物のエレキを発明し、ニュートンが林檎《りんご》の落つるを見て重力の理に疑いを起こし、ワットが鉄瓶の湯気を弄《もてあそ》んで蒸気の働きに疑いを生じたるがごとく、いずれもみな疑いの路によりて真理の奥に達したるものと言うべし。格物窮理の域を去りて、顧みて人事進歩の有様を見るもまたかくのごとし。売奴法の当否を疑いて天下後世に惨毒の源を絶えたる者は、トーマス・クラレクソンなり。ローマ宗教の妄誕を疑いて教法に一面目を改めたる者はマルチン・ルーザなり。フランスの人民は貴族の跋扈《ばっこ》に疑いを起こして騒乱の端を開き、アメリカの州民は英国の成法に疑いを容れて
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