その薄情を責めその不行届きを咎め、はなはだしきに至りては、知らぬ祖父の遺言などとて姪の家の私有を奪い去らんとするがごときは、指図の世話は厚きに過ぎて保護の世話の痕跡もなきものなり。諺《ことわざ》にいわゆる「大きにお世話」とはこのことなり。
また世に貧民救助とて、人物の良否を問わず、その貧乏の原因を尋ねず、ただ貧乏の有様を見て米銭を与うることあり。鰥寡《かんか》孤独、実に頼るところなき者へは救助も尤《もっと》もなれども、五升の御救米《おすくいまい》を貰うて三升は酒にして飲む者なきにあらず。禁酒の指図もできずしてみだりに米を与うるは、指図の行き届かずして保護の度を越えたるものなり。諺にいわゆる「大きに御苦労」とはこのことなり。英国などにても救窮の法に困却するはこの一条なりという。
この理を拡《おしひろ》めて一国の政治上に論ずれば、人民は租税を出だして政府の入用を給し、その世帯向きを保護するものなり。しかるに専制の政にて、人民の助言をば少しも用いず、またその助言を述ぶべき場所もなきは、これまた保護の一方は達して指図の路は塞《ふさ》がりたるものなり。人民の有様は大きに御苦労なりと言うべし。
この類を求めて例を挙ぐればいちいち計《かぞ》うるに遑《いとま》あらず。この「世話」の字義は経済論のもっとも大切なる箇条なれば、人間の渡世において、その職業の異同事柄の軽重にかかわらず、常にこれに注意せざるべからず。あるいはこの議論はまったく算盤《そろばん》ずくにて薄情なるに似たれども、薄くすべきところを無理に厚くせんとし、あるいはその実の薄きを顧みずしてその名を厚くせんとし、かえって人間の至情を害して世の交際を苦々《にがにが》しくするがごときは、名を買わんとして実を失うものと言うべし。
右のごとく議論は立てたれども、世人の誤解を恐れて念のためここに数言を付せん。修身道徳の教えにおいてはあるいは経済の法と相|戻《もと》るがごときものあり。けだし一身の私徳は悉皆《しっかい》天下の経済にさし響くものにあらず、見ず知らずの乞食に銭を投与し、あるいは貧人の憐れむべき者を見れば、その人の来歴をも問わずして多少の財物を給することあり。そのこれを投与しこれを給するはすなわち保護の世話なれども、この保護は指図とともに行なわるるものにあらず、考えの領分を窮屈にしてただ経済上の公をもってこれを論ずれば
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