のみ。その功能は飯を食う字引に異ならず。国のためには無用の長物、経済を妨ぐる食客と言うて可なり。ゆえに世帯も学問なり、帳合いも学問なり、時勢を察するもまた学問なり。なんぞ必ずしも和漢洋の書を読むのみをもって学問と言うの理あらんや。
 この書の表題は『学問のすすめ』と名づけたれども、けっして字を読むことのみを勧むるにあらず。書中に記すところは、西洋の諸書よりあるいはその文を直ちに訳し、あるいはその意を訳し、形あることにても形なきことにても、一般に人の心得となるべき事柄を挙《あ》げて学問の大趣意を示したるものなり。先に著《あら》わしたる一冊を初編となし、なおその意を拡《おしひろ》めてこのたびの二編を綴り、次いで三、四編にも及ぶべし。

   人は同等なること

 初編の首《はじめ》に、人は万人みな同じ位にて生まれながら上下の別なく自由自在云々とあり。今この義を拡めて言わん。人の生まるるは天の然《しか》らしむるところにて人力にあらず。この人々互いに相敬愛しておのおのその職分を尽くし互いに相妨ぐることなき所以《ゆえん》は、もと同類の人間にしてともに一天を与《とも》にし、ともに与に天地の間の造物なればなり。譬えば一家の内にて兄弟相互に睦《むつま》しくするは、もと同一家の兄弟にしてともに一父一母を与にするの大倫あればなり。
 ゆえに今、人と人との釣合いを問えばこれを同等と言わざるを得ず。ただしその同等とは有様の等しきを言うにあらず、権理道義の等しきを言うなり。その有様を論ずるときは、貧富、強弱、智愚の差あることはなはだしく、あるいは大名華族とて御殿に住居し美服、美食する者もあり、あるいは人足とて裏店《うらだな》に借屋して今日の衣食に差しつかえる者もあり、あるいは才智|逞《たくま》しゅうして役人となり商人となりて天下を動かす者もあり、あるいは智恵分別なくして生涯、飴《あめ》やおこし[#「おこし」に傍点]を売る者もあり、あるいは強き相撲取りあり、あるいは弱きお姫様あり、いわゆる雲と泥《どろ》との相違なれども、また一方より見てその人々持ち前の権理通義をもって論ずるときは、いかにも同等にして一厘一毛の軽重あることなし。すなわちその権理通義とは、人々その命《いのち》を重んじ、その身代所持のものを守り、その面目名誉を大切にするの大義なり。天の人を生ずるや、これに体と心との働きを与えて、人々
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