をしてこの通義を遂げしむるの仕掛けを設けたるものなれば、なんらのことあるも人力をもってこれを害すべからず。
大名の命も人足の命も、命の重きは同様なり。豪商百万両の金も、飴やおこし[#「おこし」に傍点]四文の銭も、己《おの》がものとしてこれを守るの心は同様なり。世の悪《あ》しき諺に、「泣く子と地頭《じとう》には叶《かな》わず」と。またいわく、「親と主人は無理を言うもの」などとて、あるいは人の権理通義をも枉《ま》ぐべきもののよう唱うる者あれども、こは有様と通義とを取り違えたる論なり。地頭と百姓とは、有様を異にすれどもその権理を異にするにあらず。百姓の身に痛きことは地頭の身にも痛きはずなり、地頭の口に甘きものは百姓の口にも甘からん。痛きものを遠ざけ甘きものを取るは人の情欲なり他の妨げをなさずして達すべきの情を達するはすなわち人の権理なり。この権理に至りては地頭も百姓も厘毛の軽重あることなし。ただ地頭は富みて強く、百姓は貧にして弱きのみ。貧富、強弱は人の有様にてもとより同じかるべからず。
しかるに今、富強の勢いをもって貧弱なる者へ無理を加えんとするは、有様の不同なるがゆえにとて他の権理を害するにあらずや。これを譬えば力士がわれに腕の力ありとて、その力の勢いをもって隣の人の腕を捻《ねじ》り折るがごとし。隣の人の力はもとより力士よりも弱かるべけれども、弱ければ弱きままにてその腕を用い自分の便利を達して差しつかえなきはずなるに、いわれなく力士のために腕を折らるるは迷惑至極と言うべし。
また右の議論を世の中のことに当てはめて言わん。旧幕府の時代には士民の区別はなはだしく、士族はみだりに権威を振るい、百姓・町人を取り扱うこと目の下の罪人のごとくし、あるいは切捨て御免などの法あり。この法によれば、平民の生命はわが生命にあらずして借り物に異ならず。百姓・町人は由縁《ゆかり》もなき士族へ平身低頭し、外にありては路を避け、内にありて席を譲り、はなはだしきは自分の家に飼いたる馬にも乗られぬほどの不便利を受けたるはけしからぬことならずや。
右は士族と平民と一人ずつ相対したる不公平なれども、政府と人民との間柄にいたってはなおこれよりも見苦しきことあり。幕府はもちろん、三百諸侯の領分にもおのおの小政府を立てて、百姓・町人を勝手次第に取り扱い、あるいは慈悲に似たることあるもその実は人に持ち前の
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