て苦しみなきよう、互いにその所を得てともに全国の太平を護らんとするの一事のみ。今余輩の勧むる学問ももっぱらこの一事をもって趣旨とせり。
端書《はしがき》
このたび余輩の故郷中津に学校を開くにつき、学問の趣意を記して旧《ふる》く交わりたる同郷の友人へ示さんがため一冊を綴りしかば、或る人これを見ていわく、「この冊子をひとり中津の人へのみ示さんより、広く世間に布告せばその益もまた広かるべし」との勧めにより、すなわち慶応義塾の活字版をもってこれを摺《す》り、同志の一覧に供うるなり。
明治四年|未《ひつじ》十二月
[#ここから地から1字上げ]
福沢諭吉
記
小幡篤次郎
[#ここで字上げ終わり]
[#改段]
二編
端書
学問とは広き言葉にて、無形の学問もあり、有形の学問もあり。心学、神学、理学等は形なき学問なり。天文、地理、窮理、化学等は形ある学問なり。いずれにてもみな知識|見聞《けんもん》の領分を広くして、物事の道理をわきまえ、人たる者の職分を知ることなり。知識見聞を開くためには、あるいは人の言を聞き、あるいはみずから工夫《くふう》を運《めぐ》らし、あるいは書物をも読まざるべからず。ゆえに学問には文字を知ること必要なれども、古来世の人の思うごとく、ただ文字を読むのみをもって学問とするは大なる心得違いなり。
文字は学問をするための道具にて、譬《たと》えば家を建つるに槌《つち》・鋸《のこぎり》の入用なるがごとし。槌・鋸は普請《ふしん》に欠くべからざる道具なれども、その道具の名を知るのみにて家を建つることを知らざる者はこれを大工と言うべからず。まさしくこのわけにて、文字を読むことのみを知りて物事の道理をわきまえざる者はこれを学者と言うべからず。いわゆる「論語よみの論語しらず」とはすなわちこれなり。わが国の『古事記』は暗誦すれども今日の米の相場を知らざる者は、これを世帯の学問に暗き男と言うべし。経書《けいしょ》・史類の奥義には達したれども商売の法を心得て正しく取引きをなすこと能《あた》わざる者は、これを帳合いの学問に拙《つたな》き人と言うべし。数年の辛苦を嘗め、数百の執行金《しゅぎょうきん》を費やして洋学は成業したれども、なおも一個私立の活計をなし得ざる者は、時勢の学問に疎《うと》き人なり。これらの人物はただこれを文字の問屋と言うべき
前へ
次へ
全94ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
福沢 諭吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング