年頭の祝儀、菩提所《ぼだいしょ》の参詣《さんけい》、一人も欠席あることなし。その口吻《こうふん》にいわく、「貧は士の常、尽忠報国」またいわく、「その食を食《は》む者はその事に死す」などと、たいそうらしく言い触らし、すはといわば今にも討死《うちじに》せん勢いにて、ひととおりの者はこれに欺かるべき有様なれども、竊《ひそか》に一方より窺えば、はたして例の偽君子なり。
大名の家来によき役儀を勤むる者あれば、その家に銭のできるは何ゆえぞ。定まりたる家禄と定まりたる役料にて一銭の余財も入るべき理なし。しかるに出入《しゅつにゅう》差引きして余りあるははなはだ怪しむべし。いわゆる役得にもせよ、賄賂《わいろ》にもせよ、旦那の物をせしめたるに相違はあらず。そのもっともいちじるしきものを挙げて言えば、普請奉行が大工に割前《わりまえ》を促《うなが》し、会計の役人が出入りの町人より付け届けを取るがごときは、三百諸侯の家にほとんど定式《じょうしき》の法のごとし。旦那のためには御馬前に討死さえせんと言いし忠臣義士が、その買物の棒先《ぼうさき》を切るとはあまり不都合ならずや。金箔付きの偽君子と言うべし。
あるいはまれに正直なる役人ありて賄賂《わいろ》の沙汰も聞こえざれば、前代未聞の名臣とて一藩中の評判なれども、その実はわずかに銭を盗まざるのみ。人に盗心なければとてさまで誉《ほ》むべきことにあらず。ただ偽君子の群集するその中に十人並みの人が雑《まじ》るゆえ、格別に目立つまでのことなり。畢竟この偽君子の多きもその本《もと》を尋ぬれば古人の妄想にて、世の人民をばみな結構人にして御しやすきものと思い込み、その弊ついに専制抑圧に至り、詰まるところは飼犬に手を噛《か》まるるものなり。返す返すも世の中に頼みなきものは名分なり。毒を流すの大なるものは専制抑圧なり。恐るべきにあらずや。
或る人いわく、「かくのごとく人民不実の悪例のみを挙ぐれば際限もなきことなれども、悉皆《しっかい》然るにもあらず。わが日本は義の国にて、古来義士の身を棄てて君のためにしたる例ははなはだ多し」と。答えていわく、「まことに然り、古来義士なきにあらず、ただその数少なくして算当に合わぬなり。元禄年中は義気の花盛りとも言うべき時代なり。この時に赤穂七万石の内に義士四十七名あり。七万石の領分におよそ七万の人口あるべし。七万の内に四十七あれば
前へ
次へ
全94ページ中58ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
福沢 諭吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング