注文どおりに治まりたる時はなく、とどのつまりは今のとおりに外国人に押し付けられたるにあらずや。
 しかるにこの意味を知らずして、きかぬ薬を再三飲むがごとく、小刀細工の仁政を用い、神ならぬ身の聖賢が、その仁政に無理を調合してしいて御恩を蒙らしめんとし、御恩は変じて迷惑となり、仁政は化して苛法となり、なおも太平を謡わんとするか。謡わんと欲せばひとり謡いて可なり。これを和する者はなかるべし。その目論見こそ迂遠なれ。実に隣ながらも捧腹《ほうふく》に堪えざる次第なり。
 この風儀はひとり政府のみに限らず、商家にも、学塾にも、宮にも、寺にも行なわれざるところなし。今その一例を挙げて言わん。店中に旦那が一番の物知りにて、元帳を扱う者は旦那一人、したがって番頭あり、手代ありて、おのおのその職分を勤むれども、番頭・手代は商売全体の仕組みを知ることなく、ただ喧《やかま》しき旦那の指図に任せて、給金も指図次第、仕事も指図次第、商売の損得は元帳を見て知るべからず、朝夕旦那の顔色を窺《うかが》い、その顔に笑《え》みを含むときは商売の当たり、眉の上に皺をよするときは商売の外《はず》れと推量するくらいのことにて、なんの心配もあることなし。
 ただ一つの心配は己が預かりの帳面に筆の働きをもって極内《ごくない》の仕事を行なわんとするの一事のみ。鷲《わし》に等しき旦那の眼力もそれまでには及び兼ね、律儀一偏の忠助と思いのほかに、駆落《かけお》ちかまたは頓死のその跡にて帳面を改むれば、洞《ほら》のごとき大穴をあけ、はじめて人物の頼み難きを歎息するのみ。されどもこは人物の頼み難きにあらず、専制の頼み難きなり。旦那と忠助とは赤の他人の大人にあらずや。その忠助に商売の割合をば約束もせずして、子供のごとくにこれを扱わんとせしは旦那の不了簡《ふりょうけん》と言うべきなり。
 右のごとく上下貴賤の名分を正し、ただその名のみを主張して専制の権を行なわんとするの原因よりして、その毒の吹き出すところは人間に流行する欺詐《ぎさ》術策の容体なり。この病に罹《かか》る者を偽君子と名づく。譬《たと》えば封建の世に大名の家来は表向きみな忠臣のつもりにて、その形を見れば君臣上下の名分を正し、辞儀をするにも敷居《しきい》一筋の内外《うちそと》を争い、亡君の逮夜《たいや》には精進《しょうじん》を守り、若殿の誕生には上下《かみしも》を着し、
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