意にして、結局は政府と学者と直接の関係を止め、ともに高尚の域に昇りて永遠重大の喜憂をともにせんとするの旨を述べたるものなり。たとえばここに一軒の家あらん。楼下は陋《いや》しき一室にして、楼上には夥多《あまた》の美室あり。地位職分を殊にする者が、この卑陋《ひろう》なる一室に雑居して苦々《にがにが》しき思をなさんより、高く楼に昇りてその室を分ち、おのおの当務の事を務むるはまた美ならずや。室を異にするも、家を異にするに非ず。居所高ければもって和すべく、居所|卑《ひく》ければ和すべからざるの異《い》あるのみ。
 末段にいたり、なお一章を附してこの編を終えん。すべて事物の緩急軽重とは相対したる意味にて、これよりも緩なり彼よりも急なりというまでのことなれば、時の事情によりて、緩といえば緩ならざるはなし、急といえば急ならざるはなし。この緩急軽重の判断にあたりては、もっとも心情の偏重によりて妨げらるるものなり。ゆえに今政府の事務を概して尋ぬれば、大となく小となく悉皆《しっかい》急ならざるはなしといえども、逐一《ちくいち》その事の性質を詳《つまびらか》にするときは、必ず大いに急ならざるものあらん。また、学者が新聞紙を読みて政《まつりごと》を談ずるも、急といえば急なれども、なおこれよりも急にしてさらに重大なる事の箇条は枚挙にいとまあらざるべし。
 前章にいえる如く、当世の学者は一心一向にその思想を政府の政に凝《こ》らし、すでに過剰にして持てあましたる官員の中に割込み、なおも奇計妙策を政の実地に施さんとする者は、その数ほとんどはかるべからず。ただに今日、熱中奔走する者のみならず、内外に執行《しゅぎょう》する書生にいたるまでも、法律を学ぶ者は司法省をねらい、経済学に志す者は大蔵省を目的とし、工学を勉強するは工部に入らんがためなり。万国公法を明らかにするは外務の官員たらんがためなり。かかる勢にては、この書生輩の行末《ゆくすえ》を察するに、専門には不得手《ふえて》にしていわゆる事務なるものに長じ、私《し》に適せずして官に適し、官に容れざれば野《や》に煩悶し、結局は官私不和の媒《なかだち》となる者、その大半におるべし。政府のためを謀れば、はなはだ不便利なり、当人のためを謀れば、はなはだ不了簡《ふりょうけん》なり。今の学者は政府の政談の外に、なお急にして重大なるものなしと思うか。
 手近くここにその一、二を示さん。学者はかの公私に雇われたる外国人を見ずや。この外国人は莫大なる月給を取りて何事をなすか。余輩、未だ英国に日本人の雇われて年に数千の給料を取る者あるを聞かず。而《しこう》して独り我が日本国にて外人を雇うは何ぞや。他なし、内国にその人物なきがゆえなり。学者に乏しきがゆえなり。学者の頭数《あたまかず》はあれども、役に立つべき学者なきがゆえなり。今の学者が今より勉強して幾年を過ぎなば、この雇《やとい》の外国人をやめてこれに交代すべきや。新聞紙の政談に志すも、この交代の日は容易に来ることなかるべし。
 また、一昨年一二月八日に金星の日食ありて、諸外国の天文家は日本に来て測量したり。この時において、学者は何の観をなしたるか。金の魚虎《しゃちほこ》は墺国の博覧会に舁《か》つぎ出したれども、自国の金星の日食に、一人の天文学者なしとは不外聞《ふがいぶん》ならずや。
 また、外国の交際においても、字義を広くしてこれを論ずれば、霞が関の外務省のみをもって交際の場所と思うべからず。ひとたび国を開きてより以来、我が日本と諸外国との間には、貿易商売の交際あり、学芸工業の交際あり、これを概《がい》すれば、双方の間に智力の交際を始めたるものというべし。この交際はいずれも皆人民の身の上に引受け、人々その責《せめ》に任ずべきものにして、政府はあたかも人民の交際に調印して請人《うけにん》に立ちたる者の如し。
 ゆえに、貿易に不正あれば、商人の恥辱なり、これによりて利を失えば、その愚なり。学芸の上達せざるは、学者の不外聞なり、工業の拙なるは、職人の不調法なり。智力発達せずして品行の賤《いや》しきは、士君子の罪というべし。昔日《せきじつ》鎖国の世なれば、これらの諸件に欠点あるも、ただ一国内に止まり、天に対し同国人に対しての罪なりしもの、今日にありては、天に対し同国人に対し、かねてまた外国人に対して体面を失し、その結局は我が本国の品価を低くして、全国の兄弟ともにその禍を蒙るのみならず、二千余年の独立を保ちし先人をも辱《はずか》しむるにいたるべし。これを重大といわずして何物を重大といわん。
 また試みに見よ、今の西洋諸国は果して至文至明の徳化にあまねくして、その人民は皇々如《こうこうじょ》として王者の民の如くなるか。我が人民の智力学芸に欠点あるも、よくこれを容《い》れてその釁《ひま》に切込むこ
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