にこれを引請けざるべからず。国の盛衰を引請くるとは、すなわち国政にかかわることなり。人民は国政に関《かん》せざるべからざるなり。然りといえども、余輩が今ここにいうところの政《せい》の字は、その意味のもっとも広きものにして、ただ政府の官員となり政府の役所に坐して事を商議施行するのみをもって、政《まつりごと》にかかわるというに非ず。人民みずから自家の政に従事するの義を旨とするものなり。
たとえば政府にて、学校を立てて生徒を教え、大蔵省を設けて租税を集むるは、政府の政なり。平民が、学塾を開いて生徒を教え、地面を所有して地代|小作米《こさくまい》を取立つるは、これを何と称すべきや。政府にては学校といい、平民にては塾といい、政府にては大蔵省といい、平民にては帳場といい、その名目《みょうもく》は古来の習慣によりて少しく不同あれども、その事の実は毫《ごう》も異なることなし。すなわち、これを平民の政といいて可《か》なり。
古《いにしえ》より家政などいう熟字あり。政《せい》の字は政府に限らざることあきらかに知るべし。結局政府に限りて人民の私《わたくし》に行うべからざる政は、裁判の政なり、兵馬の政なり、和戦の政なり、租税(狭き字義にしたがいて)の政なり、この他わずかに数カ条にすぎず。
されば人民たる者が一国にいて公《おおやけ》に行うべき事の箇条は、政府の政に比して幾倍なるを知るべからず。外国商売の事あり、内国物産の事あり、開墾の事あり、運送の事あり、大なるは豪商の会社より、小なるは人力車挽《くるまひき》の仲間にいたるまで、おのおのその政を施行して自家の政体を尊奉せざる者なし。かえりみて学者の領分を見れば、学校教授の事あり、読書著述の事あり、新聞紙の事あり、弁論演説の事あり。これらの諸件、よく功を奏して一般の繁盛《はんじょう》をいたせば、これを名づけて文明の進歩と称す。
一国の文明は、政府の政《せい》と人民の政と両《ふたつ》ながらその宜《よろしき》を得てたがいに相助くるに非ざれば、進むべからざるものなり。就中《なかんずく》、人民の政は思いのほかに有力なるものにして、ややもすれば政府の政をもってこれを制すること能わざるもの多し。たとえば今の人力車の如し。その創業わずかに五、六年に過ぎざれども、すでにその通用の政体をなせば、たとい政府の力をもって前の四《よ》ツ手《で》駕籠《かご》に復
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