も国を創造せしものなれば、もとより政府をも創造せざるべからず。ゆえに旧政府を廃して新政府をつくりたり。自然の勢、もとより怪しむに足らず。その後、廃藩置県、法律改定、学校設立、新聞発行、商売工業の変化より廃刀・断髪等の件々にいたるまで、その趣《おもむき》を見れば、我が日本を評してこれを新造の一国と云わざるをえず。人あるいはこの諸件の変革を見て、その原因を王政維新の一挙に帰し、政府をもって人事百般の源《みなもと》となし、その心事の目的を政府の一方に定めて、他をかえりみざる者多しといえども、余輩の考には政府もまた、ただ人事の一部分にして、その旧政府を改めて新政府をつくりたるも、原因のあるところを求むれば、かの廃藩置県以下の諸件とともに、そのよって来るところをともにし、ひっきょう、天下衆心の変化したるものと思うなり。ゆえにいわく、政府は人事変革の原因に非ずして人心変革の結果なり。
天下の人心すでに改進に赴きたりといえども、億兆の人民とみに旧套《きゅうとう》を脱すべきに非ず。改進は上流にはじまりて下流に及ぼすものなれば、今の日本国内において改進を悦《よろこ》ぶ者は上流の一方にありて、下流の一方は未だこれに達すること能わず。すなわち廃藩置県を悦ばざる者なり、法律改定を好まざる者なり、新聞の発行を嫌う者なり、商売工業の変化を悪《にく》む者なり、廃刀を怒るものなり、断髪を悲しむ者なり。あるいはこの諸件を擯斥《ひんせき》するに非ず、口にこれを称し、事にこれを行うといえども、その心事の模範、旧物を脱却すること能わざる者なり。
これを方今《ほうこん》、我が国内にある上下二流の党派という。一は改進の党なり、一は守旧の党なり。余輩ここに上下の字を用ゆといえども、敢《あえ》てその人の品行を評してこれを上下するに非ず。改進家流にも賤《いや》しむべき者あらん、守旧家流にも貴《とうと》ぶべき人物あらん。これを評論するは本編の旨に非ず。ただ、国勢変革の前後をもって、かりに上下の名を下したるのみ。
かくの如く、天下の人心を二流に分《わか》ち、今の政府はそのいずれの方にあるものなりやと尋ぬれば、口を放ちてこれを上流といわざるをえず。その明証は、世人誤って人事変革の原因をも政府に帰するに非ずや。この考はもとより誤ならん、政府はひとり変革の原因に非ざるべしといえども、その変革中の一部分たるは論をまたず、
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