学校の説
(一名、慶応義塾学校の説)
福沢諭吉
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)為政《いせい》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)良民|乏《とぼ》しきのみ
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(例)[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
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一、世に為政《いせい》の人物なきにあらず、ただ良政の下に立つべき良民|乏《とぼ》しきのみ。為政の大趣意は、その国の風俗、人民の智愚にしたがい、その時に行わるべき最上の政を最上とするのみ。ゆえにこの国にしてこの政あり、かの国にしてかの政あり。国の貧弱は必ずしも政体のいたすところにあらず。その罪、多くは国民の不徳にあり。
一、政を美にせんとするには、まず人民の風俗を美にせざるべからず。風俗を美にせんとするには、人の智識聞見を博くし、心を脩め身を慎むの義を知らしめざるべからず。けだし我が輩の所見にて、開知・修身の道は、洋学によらざれば、他に求むべき方便を知らず。歴史を読みて、その実証を見るべし。世の士君子、もしこの順席を錯《あやまり》て、他に治国の法を求めなば、時日を経るにしたがい、意外の故障を生じ、不得止《やむをえず》して悪政を施すの場合に迫り、民庶もまた不得止して廉恥を忘るるの風俗に陥り、上下ともに失望して、ついには一国の独立もできざるにいたるべし。古今万国、その例少なからず。ゆえに今、我が邦にて洋学校を開くは、至急のまた急なるものにて、なお衣食の欠くべからざるが如し。公私の財を費《ついや》すも愛《おし》むにいとまあらず。
一、学問は、高上にして風韻あらんより、手近くして博きを貴しとす。かつまた天下の人、ことごとく文才を抱くべきにもあらざれば、辺境の土民、職業忙わしき人、晩学の男女等へ、にわかに横文字を読ませんとするは無理なり。これらへはまず翻訳書を教え、地理・歴史・窮理学・脩心学・経済学・法律学[#ここから割り注]これらの順序をおい原書を翻訳せざるべからず。我が輩の任なり[#ここで割り注終わり]等を知らしむべし。
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いわゆる洋学校は人を導くべき人才を育する場所なれば、もっぱら洋書を研究し、難字をも読み、難文をも翻訳して、後進の便利を達すべきなり。方今の有様にては、読書家も少なく翻訳書もはなはだ乏しければ、国内一般に風化を及ぼすは、三、五年の事業にあらず、ただ人力をつくして時を待つのみ。
[#ここで字下げ終わり]
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一、学校を設くるに公私両用の別あり。その得失、左の如し。
一、官に学校を立つれば、金穀《きんこく》に差支えなくして、書籍器械の買入はもちろん、教師へも十分に給料をあたうべきがゆえに、教師も安んじて業につき、貧書生も学費を省《はぶ》き、書籍に不自由なし。その得、一なり。
一、官には黜陟《ちゅっちょく》・与奪《よだつ》の権あるゆえ、学校の法を厳にし、賞罰を明らかにすべし。その得、二なり。
一、官の学校は自《おのず》から仕官の途《みち》に近し。ゆえに青雲の志ある者は、ことに勉強することあり。その得、三なり。
一、官の学校には、教師の外《ほか》に俗吏の員、必ず多く、官の財を取扱うこと、あるいは深切ならずして、費冗《ひじょう》はなはだ多し。この金を私学校に用いなば、およそ四倍の実用をなすべし。その失、一なり。
一、官の学校にある者は、親しく政府の挙動を聞見して、みだりにその是非を論ずるの弊あり。はなはだしきは権家に出入して官の事業を探索する等、無用の時を費《ついや》して本業を忘るるにいたる。その失、二なり。
一、官の学校にては、おのずから衣冠の階級あるがゆえに、正《ただ》しく学業の深浅にしたがって生徒席順の甲乙を定め難き場合あり。この弊を除くの一事は、議論上には容易なれども、事実に行われざるものなり。その失、三なり。
一、官の学校にある者は、みずからその学識を測量せずして、にわかに仕官に志すの弊あり。けだしその達路《たつろ》近ければなり。その失、四なり。
一、官の学校は、官とその盛衰をともにして、官に変あれば校にも変を生じ、官、斃《たおる》れば校もまた斃る。はなはだしきは官府|一《いち》吏人《りじん》の進退を見て、学校の栄枯を卜《ぼく》するにいたることあり。近くその一例をあげていわんに、旧幕府のとき開成所を設けたれども、まったく官府の管轄を蒙り、官の私有に異ならざりしがゆえ、いったん幕府の瓦解にいたり捨ててかえりみる者なし。幸にして今日に及びようやく旧に復するの模様あれども、空しく二年の時日を失い、生徒分散、家屋荒廃、書籍を失い器械を毀《こぼ》ち、その零落、名状するに堪えず。あたかも文学の気は二年の
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