間|窒塞《ちっそく》せしが如し。天下一般の大損亡というべし。先にこの開成所をして平人《へいじん》私有の学校ならしめなば、必ずかかる災害はなかるべきはずなり。官学校の失、五なり。[#ここから割り注]諸藩士執行中、藩用にて急に帰国を命ぜられ、国に帰りて見れば、さしたる用も無くして、また再遊、したがって再遊、したがって帰国、金ばかり費やしてついに学問のできざる者多し。退きてその本を尋ぬれば、その金も日本の金なり。その人も日本の人なり。日本の人にして日本の金を費し、かえって日本のために益をなさざるは何ぞや。その失策の源、他にあらず、ただ官途の範囲に文学を籠絡せんとするの弊なり。[#ここで割り注終わり]
一、私立の塾には元金《もときん》少なくして、書籍器械を買い塾舎を建つる方便なし。その失、一なり。
一、古来、日本にて学者士君子、銭《ぜに》を取りて人に教うるを恥とし、その風をなせるがゆえに、私塾にて些少《さしょう》の受教料を取るも大いに人の耳目を驚かす。かつ大志を抱くものは往々貧家の子に多きものなれども、衣食にも差支うるほどにて、とても受教の金を払うべき方便なく、ついに空く志を挫《くじ》く者多し。その失、二なり。
一、私塾の教師は、教授をもって金を得ざれば、別に生計の道を求めざるをえず。生計に時を費《ついや》せばおのずから塾生の教導を後にせざるをえず。その失、三なり。
一、私塾には黜陟・与奪の公権なきがゆえに、人生|天稟《てんぴん》の礼譲に依頼して塾法を設け、生徒を導くの外、他に方便なし。人の義気・礼譲を鼓舞せんとするには、己《おの》れ自からこれに先だたざるべからず。ゆえに私塾の教師は必ず行状よきものなり。もし然らずして教師みずから放蕩無頼を事とすることあらば、塾風たちまち破壊し、世間の軽侮をとること必《ひっ》せり。その責《せめ》大にして、その罰重しというべし。私塾の得、一なり。
一、私塾にて俗吏を用いず。金穀の会計より掃除・取次にいたるまで、生徒、読書のかたわらにこれを勤め、教授の権も出納の権も、読書社中の一手にこれをとるがゆえに、社中おのおの自家の思をなし、おのおの自からその裨益を謀《はかり》て、会計に心を用うること深切なり。その得、二なり。
一、私塾中は起居自由にして一物の身を束縛するなく、官途の心雲を脱却して随意に書を読み、一刻も読書に費さざるの時なく、一語も文学にわたらざるの談なし。身心|流暢《りゅうちょう》して苦学もまた楽しく、したがって教えしたがって学び、学業の上達すること、世人の望外《ぼうがい》に出ず。その得、三なり。
一、古来、封建|世禄《せいろく》の風、我が邦に行われ、上下の情、相通ぜざること久し。ひとり私塾においては、遠近の人|相《あい》集《あつま》り、その交際ただ読書の一事のみにて他に関係なければ、たがいにその貴賤貧富を論ずるにいとまあらず。ゆえに富貴は貧賤の情実を知り、貧賤は富貴の挙動を目撃し、上下混同、情意相通じ、文化を下流の人に及ぼすべし。その得、四なり。
一、文学はその興廃を国政とともにすべきものにあらず。百年以来、仏蘭西にて騒乱しきりに起り、政治しばしば革《あらたま》るといえども、その文運はいぜんたるのみならず、騒乱の際にも、日に増し月に進み、文明を世界に耀《かがや》かしたるは、ひっきょう、その文学の独立せるがゆえならん。かつまた、文脩まれば武備もしたがって起り、仏人、牆《かき》に鬩《せめ》げども外その侮《あなどり》を禦《ふせ》ぎ、一夫も報国の大義を誤るなきは、けだしその大本《たいほん》、脩徳開知独立の文教にあり。今我邦に私塾を立つるも、この趣意を達せんとするなり。その得、五なり。
[#ここで字下げ終わり]
右所論の得失を概していえば、官学校は教育入用の財あれども、この財を用いて人を教うるの術に乏し。私学校は人を教えて世の裨益《ひえき》をなすべき術に富めるといえども、この術を実地に施すべき財に貧なり。ゆえに、学校を建つるの要訣《ようけつ》は、この得失を折衷《せっちゅう》して、財を有するものは財を費《ついや》し、学識を有するものは才力を尽し、もって世の便利を達するにあり。
そもそも文学と政治と、その世に功徳《くどく》をなすの大小いかんを論ずるときは、此彼《しひ》、毫《ごう》も軽重の別なし。天下一日も政治なかるべからず、人間一日も文学なかるべからず、これは彼を助け、彼はこれを助け、両様並び行われて相《あい》戻《もと》らず、たがいに依頼して事をなすといえども、その地位はおのずから両立の勢《いきおい》をなせるものなれば、政治の囲範《いはん》に文学を繋《つな》ぐべからず。これすなわち学者をして随意に書を読ましめ、国典を犯すに非ざれば咎《とが》めざるゆえんなり。また、文学をもって政治を籠絡《ろうらく》すべからず
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