。これすなわち学者に兵馬の権を仮《か》さずして、みだりに国政を是非せしめず、罪を犯すものは国律をもってこれを罰するゆえんなり。
 ゆえに世の富豪・貴族、もしくは政をとるの人、天理人道の責を重んじ、心を虚にして気を平にし、内に自からかえりみて、はたして心に得るものあらば、読書の士君子を助けてその術を施さしめ、読書家もまた己れを忘れて力をつくし、ともに天下の裨益を謀り、一国独立の大義を奉ずる事あらば、また善からずや。

     洋学の順序
第一、かの国のエビシ二十六字
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 我が邦のいろはの如し。
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第二、読本
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 もっとも易《やす》き文章にて諸学の手引、初歩ともなるべき事を説き、あるいは『モラルカラッスブック』などとて、脩心学の入門を記したる小冊子も、読本の内にあり。たいてい絵入りなり。この時また文法書を学ぶ。文法を知らざれば、書を読みて、その義理を解する事、能わず。我が言葉をもって我が意を達するに足らず。言葉、意を達するに足らざるものは、唖子《あし》に異ならず。
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第三、地理書
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 地球の運転、山野河海の区別、世界万国の地名、風俗・人情の異同を知る学問なり。いながら知るべき名所を問わず、己《おの》が生れしその国を天地世界と心得るは、足を備えて歩行せざるが如し。ゆえに地理書を学ばざる者は、跛者《はしゃ》に異ならず。
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第四、数学
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 指を屈して物の数を計《かぞう》るをはじめとし、天文・測量・地理・航海・器械製造・商売・会計、ことごとく皆、数学のかかわらざるものなし。かつ数学を知らざる者は、その学識を実用に施すときにあたりて、議論つねに迂闊《うかつ》なり。
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第五、窮理学
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 窮理学とて、理窟ばかり論じ、押えどころなき学問にはあらず。物の性と物の働を知るの趣意なり。日月星辰の運転、風雨雪霜の変化、火の熱きゆえん、氷の冷《つめた》きゆえん、井を掘りて水の出ずるゆえん、火を焚きて飯の出来るゆえん、一々その働きを見てその源因を究むるの学にて、工夫発明、器械の用法等、皆これに基かざるものなし。元来、物を見てその理を知らざるは、目を備えて見ざるが如し。ゆえに窮理書を読まざる者は、瞽者《こしゃ》に異ならず。
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第六、歴史
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 歴史は、和漢に限らず、世界中いずれの国にても歴代あらざるはなし。歴代あれば歴史もあるはずなり。ひろく万国の歴史を読み、治乱興廃の事跡を明らかにし、此彼《しひ》相比較せざれば、一方に偏するの弊を生じ、事にあたりて所置を錯《あやま》ること多し。他人の常言も我耳に新しく、恐るべきを恐れず、悦《よろこ》ぶべきを悦ばず、風声|鶴唳《かくれい》を聞きて走るの笑をとることあり。かくの如きはすなわち耳なきに若《し》かず。ゆえに万国の歴史を読まざるものは、聾者《ろうしゃ》に劣る。
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第七、脩心学
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 人は万物の霊なり。性の善なる、もとより論をまたず。脩心学とはこの理に基き、是非曲直を分ち、礼義廉節を重んじ、これを外にすれば政府と人民との関係、これを内にすれば親子夫婦の道、一々その分限を定め、その職分を立て、天理にしたがいて人間に交わるの道を明らかにする学問にて、ひっきょう霊心の議論なり。霊心の位するところは人体の頭脳にあり。然らばすなわち人として脩心の学を勤めざる者は、なお首なき人の如し。
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第八、経済学
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 人間衣食住の需用を論じこれを製しこれを易《か》え、これを集め、これを散じ、人の知識礼義を進めて需用の物を饒《ゆたか》にする所以《ゆえん》を説き、これを大にすれば一国政府の出納、これを小にすれば一家日常の生計、自然の定則にしたがう者は富をいたし、これに背く者は貧をいたすの理を明らかにするの学問なり。この学問に暗き者は、自から富むも、その富のよって来たるところを知らず、自から貧なるも、その貧をいたせし源由を知らざれば、富者は貧をいたしやすく、貧者は富を得がたし。ゆえに経済書を学ばざるものは、巨万の富豪も無産の貧漢に異ならず。
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第九、法律書
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 人の生命・家産を重んじ、正をすすめ邪をとどむるの法を論じたるものなり。法律に暗き人は、知らずして罪を犯し、知らずして法にしたがうことあり。あたかもその生命・家産を偶然に保つ者というべし。
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一、右の条々は、人生欠くべからざる学問なり。あるいは、
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