の不都合は甚だ尠《すく》なからず。
 全体これらの父母たるものが、教育といえばただ字を教え、読み書きの稽古《けいこ》をのみするものと心得、その事をさえ程能《ほどよ》く教え込むときは立派な人間になるべしと思い、自身の挙動《ふるまい》にはさほど心を用いざるものの如し。されども少しく考え見るときは、身の挙動にて教うることは書を読みて教うるよりも深く心の底に染み込むものにて、かえって大切なる教育なれば、自身の所業は決して等閑《なおざり》にすべからず。つまる処、子供とて何時《いつ》までも子供にあらず、直《じき》に一人前の男女となり、世の中の一部分を働くべき人間となるべきものなれば、事の大小軽重を問わず、人間必要の習慣を成すに益《えき》あるか妨げあるかを考え合わせて、然る後に手を下すべきのみ。然らずんば、人間の腹より出でたる犬豕《けんし》を生ずること必定《ひつじょう》なり。斯《かか》る化物《ばけもの》は街道に連れ出して見世物となすには至極面白かるべけれども、世の中のためには甚だ困りものなり。



底本:「福沢諭吉家族論集」岩波文庫、岩波書店
   1999(平成11)年6月16日第1刷発行
底本
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