るのが見える、風を引きはせぬかと気遣《きづか》われるほど意気地のない布団の被《か》けざまをして。
 行燈はすでに消えて、窓の障子はほのぼのと明るくなッている。千住《せんじゅ》の製絨所《せいじゅうしょ》か鐘《かね》が淵《ふち》紡績会社かの汽笛がはるかに聞えて、上野の明け六時《むつ》の鐘も撞《う》ち始めた。
「善さん、しッかりなさいよ、お紙入れなんかお忘れなすッて」と、お熊が笑いながら出した紙入れを、善吉は苦笑いをしながら胸もあらわな寝衣《ねまき》の懐裡《ふところ》へ押し込んだ。
「ちッとお臥《よ》るがよござんすよ」
「もう夜が……明るくなッてるんだね」
「なにあなた、まだ六時ですよ。八時ごろまでお臥ッて、一口召し上ッて、それからお帰んなさるがよござんすよ」
「そう」と、善吉はなお突ッ立ッている。
「花魁、花魁」と、お熊は吉里へ声をかけたが、返辞もしなければ身動きもせぬ。
「しようがないね。善さん、早くお臥《やす》みなさいまし。八時になッたらお起し申しますよ」
 善吉がもすこしいてもらいたかッたお熊は室を出て行ッた。
 室の障子を開けるのが方々に聞え、梯子を上り下りする草履の音も多くなッた
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