ないことね」
「いいじゃアないか。引き摺ッてりゃ、どうしたと言うんだよ。お前さんに調《こさ》えてもらやアしまいし、かまッておくれでない」
「さようさね。花魁をお世話申したことはありませんからね」
 吉里は返辞をしないでさッさッと行く。お熊はなお附き纏《まと》ッて離れぬ。
「ですがね、花魁。あんまりわがままばかりなさると、私が御内所《ごないしょ》で叱《しか》られますよ」
「ふん。お前さんがお叱られじゃお気の毒だね。吉里がこうこうだッて、お神さんに何とでも訴《いッつ》けておくれ」
 白字《はくじ》で小万《こまん》と書いた黒塗りの札を掛けてある室の前に吉里は歩《あし》を止めた。
「善さんだッてお客様ですよ。さッきからお酒肴《あつらえ》が来てるんじゃありませんか」
「善さんもお客だッて。誰《だれ》がお客でないと言ッたんだよ。当然《あたりまえ》なことをお言いでない」と、吉里は障子を開けて室内《うち》に入ッて、後をぴッしゃり手荒く閉めた。
「どうしたの。また疳癪《かんしゃく》を発《おこ》しておいでだね」
 次の間の長火鉢《ながひばち》で燗《かん》をしながら吉里へ声をかけたのは、小万と呼び当楼《ここ
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