の朝ようやく去《かえ》ッた。それは吉里が止めておいたので、平田が別離《わかれ》に残しておいた十円の金は、善吉のために残りなく費《つか》い尽し、その上一二枚の衣服《きもの》までお熊の目を忍んで典《あず》けたのであッた。
それから後、多くは吉里が呼んで、三日にあげず善吉は来ていた。十二月の十日ごろまでは来たが、その後は登楼《あがる》ことがなくなり、時々|耄碌頭巾《もうろくずきん》を冠《かぶ》ッて忍んで店まで逢いに来るようになッた。田甫《たんぼ》に向いている吉里の室の窓の下に、鉄漿溝《おはぐろどぶ》を隔てて善吉が立ッているのを見かけた者もあッた。
十
午時《ひる》過ぎて二三時、昨夜《ゆうべ》の垢《あか》を流浄《おとし》て、今夜の玉と磨《みが》くべき湯の時刻にもなッた。
おのおの思い思いのめかし[#「めかし」に傍点]道具を持参して、早や流しには三五人の裸美人《らびじん》が陣取ッていた。
浮世風呂に浮世の垢を流し合うように、別世界は別世界相応の話柄《はなし》の種も尽きぬものか、朋輩《ほうばい》の悪評《わるくち》が手始めで、内所の後評《かげぐち》、廓内《くるわ》の評判、検査場で見た他楼《よそ》の花魁の美醜《よしあし》、検査医の男振りまで評し尽して、後連《あとれん》とさし代われば、さし代ッたなりに同じ話柄《はなし》の種類の異《かわ》ッたのが、後からも後からも出て来て、未来|永劫《えいごう》尽きる期がないらしく見えた。
「いよいよ明日が煤払《すすは》きだッてね。お正月と言ッたッて、もう十日ッきゃアないのに、どうしたらいいんだか、本統に困ッちまうよ」
「どうせ、もうしようがありゃアしないよ。頼まれるような客は来てくれないしさ、どうなるものかね。その時ゃその時で、どうかこうか追ッつけとくのさ」
「追ッつけられりゃ、誰だッて追ッつけたいのさ。私なんざそれが出来ないんだから、実に苦労でしようがないよ。お正月なんざ、本統に来なくッてもいいもんだね」
「千鳥さんはそんなことを言ッたッて、蠣殻町《こめやまち》のあの人がどうでもしておくれだから、何も心配しなくッてもいいじゃアないかね」
「どうしてどうして、そんなわけに行くものかね。大風呂敷ばッかし広げていて、まさかの時になると、いつでも逃げ出して二月ぐらい寄りつきもしないよ。あんなやつアありゃしないよ」
「私しなんか、三カ日
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