気《あたたかみ》のある布団《ふとん》の上に泣き倒れた。

     六

 万客《ばんきゃく》の垢《あか》を宿《とど》めて、夏でさえ冷やつく名代部屋の夜具の中は、冬の夜の深《ふ》けては氷の上に臥《ね》るより耐えられぬかも知れぬ。新造《しんぞ》の注意か、枕もとには箱火鉢に湯沸しが掛かッて、その傍には一本の徳利と下物《さかな》の尽きた小皿とを載せた盆がある。裾の方は屏風《びょうぶ》で囲われ、頭《かみ》の方の障子の破隙《やぶれ》から吹き込む夜風は、油の尽きかかッた行燈の火を煽《あお》ッている。
「おお、寒い寒い」と、声も戦《ふる》いながら入ッて来て、夜具の中へ潜《もぐ》り込み、抱巻《かいまき》の袖に手を通し火鉢を引き寄せて両手を翳《かざ》したのは、富沢町の古着屋|美濃屋《みのや》善吉と呼ぶ吉里の客である。
 年は四十ばかりで、軽《かろ》からぬ痘痕《いも》があッて、口つき鼻つきは尋常であるが、左の眼蓋《まぶた》に眼張《めっぱ》のような疵《きず》があり、見たところの下品《やすい》小柄の男である。
 善吉が吉里のもとに通い初めたのは一年ばかり前、ちょうど平田が来初めたころのことである。吉里はとかく善吉を冷遇し、終宵《いちや》まったく顔を見せない時が多かッたくらいだッた。それにも構わず善吉は毎晩のように通い詰め通い透《とお》して、この十月ごろから別して足が繁くなり、今月になッてからは毎晩来ていたのである。死金ばかりは使わず、きれるところにはきれもするので、新造や店の者にはいつも笑顔で迎えられていたのであった。
「寒いッたッて、箆棒《べらぼう》に寒い晩だ。酒は醒《さ》めてしまッたし、これじゃアしようがない。もうなかッたかしら」と、徳利を振ッて見て、「だめだ、だめだ」と、煙管《きせる》を取り上げて二三|吹《ぷく》続けさまに煙草を喫《の》んだ。
「今あすこに立ッていたなア、小万の情夫《いいひと》になッてる西宮だ。一しょにいたのはお梅のようだッた。お熊が言ッた通り、平田も今夜はもう去《かえ》るんだと見えるな。座敷が明いたら入れてくれるか知らん。いい、そんなことはどうでもいい。座敷なんかどうでもいいんだ。ちょいとでも一しょに寝て、今夜ッきり来ないことを一言断りゃいいんだ。もう今夜ッきりきッと来ない。来ようと思ッたッて来られないのだ。まだ去《かえ》らないのかなア。もう帰りそうなものだ。大分手
前へ 次へ
全43ページ中18ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
広津 柳浪 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング