ふたり》の外套帽子を取りに小万の部屋へ走ッて行った。
「平田さん」と、小万は平田の傍へ寄り、「本統にお名残り惜しゅうござんすことね。いつまたお目にかかれるでしょうねえ。御道中をお気をおつけなさいよ。貴郷《おくに》にお着きなすッたら、ちょいと知らせて下さいよ。ね、よござんすか。こんなことになろうとはね」
「何だ。何を言ッてるんだ。一言言やア済むじゃアないか」
西宮に叱られて、小万は顔を背向《そむ》けながら口をつぐんだ。
「小万さん、いろいろお世話になッたッけねえ」と、平田は言いかけてしばらく無言。「どうか頼むよ」その声には力があり過ぎるほどだが、その上は言い得なかった。
小万も何とも言い得ないで、西宮の後にうつむいている吉里を見ると、胸がわくわくして来て、涙を溢《こぼ》さずにはいられなかッた。
お梅が帽子と外套を持ッて来た時、階下《した》から上ッて来た不寝番《ねずばん》の仲どんが、催促がましく人車《くるま》の久しく待ッていることを告げた。
平田を先に一同梯子を下りた。吉里は一番後れて、階段《ふみだん》を踏むのも危険《あぶな》いほど力なさそうに見えた。
「吉里さん、吉里さん」と、小万が呼び立てた時は、平田も西宮ももう土間に下りていた。吉里は足が縮《すく》んだようで、上《あが》り框《がまち》までは行かれなかッた。
「吉里さん、ちょいと、ちょいと」と、西宮も声をかけた。
吉里は一語《ひとこと》も吐《だ》さないで、真蒼《まッさお》な顔をしてじッと平田を見つめている。平田もじッと吉里を見ていたが、堪えられなくなッて横を向いた時、仲どんが耳門《くぐり》を開ける音がけたたましく聞えた。平田は足早に家外《おもて》へ出た。
「平田さん、御機嫌《ごきげん》よろしゅう」と、小万とお梅とは口を揃《そろ》えて声をかけた。
西宮はまた今夜にも来て様子を知らせるからと、吉里へ言葉を残して耳門《くぐり》を出た。
「おい、気をつけてもらおうよ。御祝儀を戴いてるんだぜ。さようなら、御機嫌よろしゅう。どうかまたお近い内に」
車声《くるま》は走り初めた。耳門はがらがらと閉められた。
この時まで枯木《こぼく》のごとく立ッていた吉里は、小万に顔を見合わせて涙をはらはらと零《おと》し、小万が呼びかけた声も耳に入らぬのか、小走りの草履の音をばたばたとさせて、裏梯子から二階の自分の室へ駈け込み、まだ温
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