足らぬを示す蘆原の中
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 安東で鴨緑江を見に行つた。岸には蘆が繁つてゐる。その蘆の一本に尺取虫がゐて、しきりに茎を上つて行く、それを見て居て分つたことだが、この国境の大河鴨緑江の幅も尺取のはかる茎の長さを以て測れば三尺にも足りないことであつた。虫の世界ではさういふ風に物をはかるのだらうが面白いことである。虫に代つて鴨緑江の幅を測量したわけである。

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子を思ふ不浄の涙身を流れ我一人のみ天国を墜つ
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 芸は長く命は短しといふが、芸術の都巴里を天国とすれば、私の場合には子を思ふ人間性即ち短い命の方が勝ちを占め、その為一人だけ天国を追はれて帰つて来たのである。

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江の中の筏憩へる小景に女もまじり懐かしきかな
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 大陸の大きな河を流れる筏は頗るのんびりしたもので、日本の筏とはその心持が丸で違ふ。日本の筏に女が乗る事などは決してあるまい。採木公司の筏がついて憩んでゐるのを見ると女が乗つてゐる。それが女性である作者の目に珍しく懐しく映つたのである。

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白玉は黒き袋に隠れたりわが啄木はあらずこの世に
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 啄木を傷んだ歌である。我々の仲間でいへば啄木はやはり歌が旨かつた。私などはいつも啄木には叶はないと感じてゐた。しかし友人としては私の方が少し兄貴格であつたので、可哀らしい弟分としか映らなかつた。今でも啄木を思ふと両国の明星座の楽屋で鶯笛を吹いた可哀らしい啄木が浮んで来る。この歌で白玉に比較されてゐる啄木は、私の記憶にある彼その儘で、晶子さんも同じ様な気持で啄木に対してゐたのではないかと私には思はれる。

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嫩江を前に正しく横たへて閻浮檀金の日の沈みゆく
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 チチハルで見た満洲の赤い夕日であるが、その色は閻浮檀金といふ金中の精金、その前に興安嶺を発した嫩江が真直ぐに流れて居る光景。斯ういふ光景も最早日本人の目には当分映るまい。

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心いと正しき人がいかさまに偽るべきと思ひ乱るる
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 どう※[#言+虚、第4水準2−88−74]をいふべきか、私にも覚えがあるが、心の正しい人だつたらその悩みは一しほ深からう。可哀さうに麻の如く思ひ乱れてゐるやうだと※[#言+虚、第4水準2−88−74]を云つてゐる相手に深く同情する歌でもあらうか。

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旅人に呉竹色の羅を人贈る夜の春の雁がね
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 チチハルの大人呉俊陞の若い夫人李氏に招かれ嫩江の畔の水荘に一夕を過した時、御別れに美しい虹の様な支那の織物の餞を受けた。先程からシベリアに向ふ春の帰雁が江の上をしきりに鳴いて通る。

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白き鶏罌粟の蕾を啄みぬ我がごと夢に酔はんとすらん
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 阿片は罌粟の実の未だ熟さないのを原料として採るので、花の咲かない蕾には無いのかも知れない、しかし下向きに垂れてゐる蕾は反つて重さうでその中には阿片がつまつてゐさうに見える。それを鶏が来てちよいと啄んだ。今にこの鶏も私のやうにその毒に酔つて沢山夢を見ることだらう。

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哈爾賓は帝政の世の夢のごと白き花のみ咲く五月かな
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 私は明治四十三年頃帝政の世のハルピンに一度遊んだ事があつてその公園の夜の賑はひを知つてゐる。夫人の行かれたのは今のソ※[#濁点付き片仮名ヱ、1−7−84]エトになつてからではあるが、尚相当当時の俤を存してゐたに違ひない。その後満洲事変直後に私の行つた時は、その風貌は全く違つてゐた。その後は更に急変したことであらうから、この歌などは今では当時の記録のやうなものだ。

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小鳥来て少女の様に身を洗ふ木蔭の秋の水溜りかな
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 小鳥の水を浴みてゐる姿に何となく羞らふ様子が見える、それを少女の様にと云つたのでその観察の細かさ詳しさはやはり作者のものである。

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マアルシユカ、ナタアシヤなどの冠りもの稀に色めく寛城子かな
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 寛城子は長春のロシヤ側の駅名で今日ではとうにそんな駅はあるまいが、当時でも随分なさびれ方であつた。マアルシユカ、ナタアシヤはロシヤ少女の尋常の名で、ロシヤ風の冠りものをした女が稀に歩くほか人の気はひも感ぜられない光景を描くものであるが、その不思議に柔い響きを持つロシア名を並べて雰囲気を醸し出した所流石に大家の筆触は違つたものだ。

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寒げなる筵の上に手を重ね瞽女《ごぜ》ぞいませる心覗けば
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 物乞ひ女の哀れな姿をふと心内に認めて驚いた形である。しかしよくよく見ればこの乞食女は誰の心中にも居るのである。

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公主嶺豚舎に運ぶ水桶の柳絮に追はれ雲雀に突かる
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 公主嶺にはもと農事試験所があり、種畜場を兼ねてゐたので支那豚を改良する目的の立派な豚舎があつた筈だ。その豚舎へ苦力が水桶を運ぶ。その周囲を柳絮が舞ひ、雲雀が縫ふ様に飛んでゆく。満洲らしいのびのびした光景である。日本ではそんな低い所を雲雀は飛ばない。日本なら燕であるべき所が満洲では雲雀なのであるが、雲雀に突かれるとは面白い。

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わが横に甚《いた》く頽《くずほ》れ歎く者ありと蟋蟀とりなして鳴く
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 蟋蟀の鳴くのを聞いてゐると、私の横に人がひどく泣いてゐるが、可哀さうなわけがあるのだからと取りなし顔にいつてゐる様に聞こえる。この頃即ち大正の初めの頃の歌はその後に比しては勿論、それ以前に比しても少しく劣つてゐるやうに思へるが、この歌などは立派なもので、他の時期の秀歌に比し少しも遜色はない。

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重なれる山は浅葱の繻子の襞渾河は夏の羅の襞
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 奉天から撫順へ曲る渾河添ひの景色である。折から初夏の山の色水の色の淡い取り合せが色彩の音楽のやうに美しかつたのであらう、その通り歌にあらはれてゐる。

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少女子は夏の夜明の蔓草の蔓の勢ひ持たざるもなし
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 たとへば朝顔の蔓のやうにか細く柔いが、その物にしつかりからみついて夏の夜明にずんずん延びる勢ひは即ち少女の勢ひで誰もこれを押へることは出来ない。

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山桑を優曇華の実と名づけたり先生いかに寂しかりけん
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 尾崎咢堂先生の軽井沢の莫哀山荘は夫妻が吟行の途次必ず立ち寄る処で、私も一度御伴をして行つて咢堂先生も加はつて席上の歌を作つたことがあつた。この頃既に先生は何の党にも属せず清教徒として政治的に孤立し大半ここに閑居して居られた形であつた。炭窯まであつた広い山荘を歩き廻つた時、山桑が紫の実をつけてゐるのを先生が戯れにうどんげの実といふ名をつけて珍重する由など話されたのであらう、それを直ちに主人の現在の心境を写すに借用した訳で、情景相即した趣きの深い歌である。

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冬来り河原の石も人妻の心の如く尖り行くかな
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 冬ともなれば人妻の仕事が一段とふえるので、それに伴つて心が円味を失ひ自ら尖つてくる。丁度その様に河原の石も暖か味を失ひ、堅い影を帯びて尖つて行く様に見える。これは河原の石の印象を人妻の心であらはさうとしたものの様であるが、反対に人妻の心の尖つてゆくことを云ひたい許りに河原の石をかりたのかも知れない。

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従はぬ心は心いとせめて変りはてぬと人の云へかし
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 どうも心が進まない、強いて心を翻へす様にし向けて貰ひたくない、又片くなな心だと思はれたくもない、従はぬ心はその儘そつとしてそれには触れずに、せめて晶子さんもすつかり変つてしまつたと位に云はれてやみたいものである。まあこんな風にやつて見たが、少しむつかしくてよく分らないのが真相である。

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女より選ばれ君を男より選びし後の我が世なり是れ
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 このみじめさは如何です。これが沢山の女の中から私をあなたが選び、私がいひ寄つてくる多くの男の中からあなたを選んで、はじめて私達の恋は実を結んだのです。その結果が今日の有様です。これは悲観面であるが、反対に今日を讃美したものとも取れる。何れでも読者の好むやうに。

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彗星の夜半に至りて出づるとよ胸を云へるか空を云へるか
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 これは何彗星かの出た頃の作である。今度の彗星は夜中にならなければ見えないと人のいふのを聞いて、はてそれでは丸で恋をして居るものの胸の中の様だと思つたのである。

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千万の言葉もただの一言も云はぬも聞きて悲し女は
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 女はどんな場合でも悲しい。千万言を聴いて悲しむ場合もあり、唯の一言を聴いて悲しむ場合もあり、甚しい場合には云はぬ言葉さへ聴いて悲しむのである。而してこの最後の場合があつて一層悲しいわけでもある。

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町名をば順に数ふる早わざを妹達に教へしは誰れ
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 小娘時代の囘顧で、幼時を思ひ出すいくつかの作の中でも最も罪のないもので、微笑を禁じ得ないがどこか才はじけた作者らしい俤があらはれてゐて面白い。

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夜明方喉いと乾くまだ斯かる心の苦には逢はずして死ぬ
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 昭和三年頃病気をして入院された時の作。作者は結婚以来今日まで二十数年間其の間大小様々のことで心を苦しめて来たが、今朝夜明の苦しさに比すべき程の苦しみを覚えてゐない。それを忍び難い苦痛の様に思つたのは知らなかつたのであると共に、けさの喉の乾きに比すべきものに出逢はずに死んでゆけることをよしとせねばなるまい。これは兼て肉体を一方ならず重んずる作者に新たに一の例証を与へた経験でもある。

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ただ子等の楽しき家と続けかしわが学院の敷石の道
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 文化学院の学監としての女史の面目がこんなによく出て居る歌はないと共に、女学校の教師の中にこれほど親切な心を持つた先生が一人でも多くあつて欲しいと思はれる様な歌である。つまり文化学院のやり方は生徒を楽しませながら教養を与へるやり方で著々その実をあげてゐる、唯その楽しい生徒が帰つてゆく家庭も等しく楽しい所であつて欲しい、それが憂鬱な場所、不幸な場所、悲惨な場所でないことを望まずにはゐられないといふのである。卒業式の日に一人一人が花束を貰ふなどいふ暖か味は晶子さんでなければ持ち合せなかつたことではないか。

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歎くこと多かりしかど死ぬ際に子を思ふこと万にまさる
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 重態で死の幻を見た刹那の感想である。やはり子を思ふ不浄の涙が最後の涙である事を知つた偽らざる母性愛の姿である。精神は肉体に劣るが、強烈な恋愛も母性愛には若かないのである。

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真白くて五月桜の寂しきを延元陵に云へる僧かな
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 昭和三年の晩春吉野に遊び後醍醐帝の延元陵に参られた時如意輪堂の僧でもあらうか、既に桜は散りはて五月桜の残つてゐたのをさう批判したのであらう。その心持はしかし吉野朝の心持でもあるのでこの歌となつたのであらう。

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人よりも母のつとめも知れるごと君あらぬ日に振舞ふは誰
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 良人の留守ともなれば文人としての又愛人としての一面は後退し、母としての晶子さんだけが前進し活躍するのであるが、それが一寸自分にも面白いのである。

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