がこんなによく現はれてゐる歌は少い。ただ静かに打ち誦して老女詩人の旅情に触れ、少しでも私達の魂を洗はせて貰はう。同じ時の作には 遠く来ぬ越《こし》の海府の磯尽きて鼠《ねず》が関見え海水曇る などがある。

[#ここから2字下げ]
自らの腕によりて再生を得たりし人と疑はで居ん
[#ここで字下げ終わり]

 もし私といふものがあつて此の人を愛してやらなかつたら、此の人はとうに死んで居たらう、少くとも精神的には。して見れば私は此の人を再生させた大恩人で誰もかなはない貴重な存在でなければならない。私はそれを疑はない、何も心配はしないといふのであるが、実は心許ない感じがあつての事であらう。

[#ここから2字下げ]
北海の唯ならぬかな漲るといふこと信濃川ばかりかは
[#ここで字下げ終わり]

 越後の寺泊で五月雨に降りこめられた時の歌。海さへ為にふくれ上つて信濃川の漲るやうな心持が北海の上にも見られた。それが作者には唯ならぬ様子として映つたのである。唯ならぬとは女の孕んだ時などに使はれる言葉で、さういふ気持がこの時にも動いてゐる。

[#ここから2字下げ]
君乗せし黄の大馬とわが驢馬と並べて春の水見る夕
[#ここで字下げ終わり]

 春宵一刻千金とまでは進まぬその一歩手前の夕暮の気持を象徴的に詠出したものであらうか。男は黄の大馬――そんなものはあるまいが――に乗り女は小さいから驢馬に乗り、それが並んで川に映つてゐる。春の夕の心が詩人の幻にあらはれてこんな形を取つたのであらう。

[#ここから2字下げ]
寺泊馬市すてふ海を越え佐渡に渡さん駒はあらぬか
[#ここで字下げ終わり]

 今日は馬市が立つといふので表がざわめいてゐる。一躍して海を越え佐渡に渡すことの出来るやうな駿馬が多くの中には一頭位居ないであらうか。佐渡には旧友渡邊湖畔さんが蹲つて居られるが、私が突然行つてあげたら喜ばれるだらうになどいふわけである。

[#ここから2字下げ]
思はるる我とは無しに故もなく睦まじかりし日もありしかな
[#ここで字下げ終わり]

 初めの頃の事を思ふとまだ恋などといふ形も具へずに子供同志の何の理由もなく唯睦じく語り合つたのであつた。何時頃からそれが恋になつたのであらうか。それは兎に角としてさういふ初めの頃の事も懐しく思ひ出される。善良なやさしい非難の余地のない斯ういふ歌も作者はいくつか作つてゐる。

[#ここから2字下げ]
良寛が字に似る雨と見てあればよさのひろしといふ仮名も書く
[#ここで字下げ終わり]

 寺泊の海に降る五月雨を何とはなしに眺めて居るとそれが段々良寛の字に似て来た。良寛はこの辺りの人であるから、その事が頭にあつてこんな感じも出て来たのであらう。さて降る雨に良寛の字といつても雨の事だからせいぜい仮名であらう、それを書かせてゐるとそのうちによさのひろしといふ仮名の書かれてゐることをも発見したといふのである。何といふ面白い歌だらう。俗調を抜き去つた老大家でなくては考へも及ばない境地である。しかしこの仮名の署名は実際に故人によつても幾度か使はれたことのある字句だ。

[#ここから2字下げ]
天地《あめつち》のいみじき大事|一人《いちにん》の私事とかけて思はず
[#ここで字下げ終わり]

 私の様な非凡人のする事は、それが一私人の私事であつても、それは同時に天地間の重大事件となり得るのである。私はさう思つて事に当つてゐる。君を愛する場合もその通り、これは私事ではありません、天地間の重大事件です、ですからその積りで御出でなさい。この歌は如何といふ場合にも当て嵌まるが、こんな風に取つても差支ないであらう。

[#ここから2字下げ]
山山を若葉包めり世にあらば君が初夏我の初夏
[#ここで字下げ終わり]

 故人に死に別れた年の初夏、始めて家を離れ箱根強羅の星さんの別荘に向はれ、傷心を青葉若葉に浸す事になつた時の作。去年までの世の中なら一しよに旅に出て心ゆく迄初夏を味はつたことであらうに、今年は一人強羅に来て新緑の山々に相対してゐる。唯一年の違ひが何という変り方だ。実際その前年も故人と共に塩原に遊んで、君の初夏我の初夏を経過してゐる位だから感慨も深い筈だ。

[#ここから2字下げ]
人ならず何時の世か著し紫のわが袖の香を立てよ橘
[#ここで字下げ終わり]

 前にも一度 rebers[#「rebers」はママ] した古今集の 五月待つ花橘の香を嗅げば昔の人の袖の香ぞする といふ歌を本歌とすることいふ迄もない。「人」は他人の意で、昔の人と云はれて居るが、それは他人ではない、前生の私である、昔の人の袖の香とは、何時の世にか私の著た紫の袖の移り香のことである。歌の様にも一度立てておくれ、私はそれを嗅いで前生の若かつた日を思ひ出すことにしよう。私は古今集の中ではこの歌が最も好きだが、作者も亦好まれてゐるやうだ。

[#ここから2字下げ]
山に来てこよなく心慰めば慰む儘に恋しきも君
[#ここで字下げ終わり]

 家にあつて嘗めたこの四十日程の苦しさ辛さから逃れて山に来たが、柔い若葉の山を見ては傷ついた心もすつかり慰められる、さて慰められて見ると悲しいにつけ嬉しいにつけやはり恋しいのは君である。

[#ここから2字下げ]
語らねば夜離人《よがれびと》とも旅行きし人とも憎み添臥して居ぬ
[#ここで字下げ終わり]

 少し許り仲違ひをして物を言はぬ情景である。夜離れ人は平安語で、この頃女の許に通はなくなつた男、即ち今日も来ない男のやうに又は旅に出て行つてしまつた男のやうに憎んで、ここには居ないことにしよう、さうすれば物を言はぬこと位さして問題にするにも当るまい位のことであらう。

[#ここから2字下げ]
強羅にて蘆の湖見難きと見難くなりし君と異なる
[#ここで字下げ終わり]

 強羅から蘆の湖は見えない、見えないが山の後には確かにある、その証拠にぐるりと山を一廻りすればいつでも湖を見ることが出来る。しかし君を見ることの難しいのはそれとはわけが違ふ。山を廻らうが、秋が来ようが、再び見る由はない。斯ういふ風に一つの歌に一つの新味が盛られて居て飽くことを知らないのが作者の境界で珍重すべき限りである。

[#ここから2字下げ]
ひろびろと野陣《のぢん》立てたり萱草は遠つ代よりの大|族《うから》にて
[#ここで字下げ終わり]

 萱草は恐ろしい繁殖力を持つ宿根車で忽ち他を圧倒し去り萱草許りの一大草原を為すことも珍しくない様だ。この歌はさういふ萱草の大草原を歌つたもので、花が咲いて真赤になつた光景を平家の陣とも見立て、何しろ上代からの大家族なのでそれも道理だといふのである。

[#ここから2字下げ]
人伝に都へ為べき便り無し唯病のみ宜しとも云へ
[#ここで字下げ終わり]

 心中の苦悩の如きは山の消息とは違つて人伝に伝へやうがない。帰つたら唯病気は少し宜しいと云つて下さい。言伝はそれ丈です。之も箱根の歌。

[#ここから2字下げ]
独り寝はちちと啼くなる小鼠に家鳴りどよもし夜あけぬるかな
[#ここで字下げ終わり]

 偶※[#二の字点、1−2−22]君の留守に一人寝をする夜など、鼠が天井でちいちい鳴くのが、家鳴り鳴動するやうに耳を刺戟し、おちおち眠ることもならず、遂に夜が明けてしまふ。をかしいほどの弱虫だが、事実はさうなのだから仕方がない。

[#ここから2字下げ]
紫の乾くやうにもあせて行く箱根の藤に今は似なまし
[#ここで字下げ終わり]

 一人になつたこれからの私のあるべきやうは。それは唯この箱根の藤の花の、時過ぎては乾くやうに日々少しづつ衰へて行けばそれでよいのであらう。

[#ここから2字下げ]
遠き火事見るとしもなきのろのろの人声すなり亥の刻の街
[#ここで字下げ終わり]

 火事は一つばんで遠い。それにも拘らず、火事とさへ云へば見えても見えずとも飛び出して見るのが街の人だ。遠いので話し声も一向弾まないが、これが今夜午後十時の街の光景である。冬になると毎晩半鐘を聞いた昔の東京の場末の情調がよく出て居る。

[#ここから2字下げ]
足柄の山気《さんき》に深く包まれてほととぎすにも身を変へてまし
[#ここで字下げ終わり]

 ほととぎすを不如帰と書くのはその啼き声の写音であらうが、帰るに如かずといふ言葉の意味から色々支那らしい伝説が生れ、ほととぎすに転身して不如帰不如帰と啼く話なども出来てゐる。そんなことも或はこの歌のモチイフになつて居るかも知れないが、初夏の山深い処で直ちにその啼くのを聞いたら、傷心の人誰も血に泣くほととぎすに為り度くなるであらう。しかしこの歌の響きは必ずしもそんな血涙数行といふ様な悲しいものではない。むしろ前三句の爽快な調子が、伝説的悲劇性を吹き飛ばしてゐるので、反つて明朗なすがすがしい気分のほととぎすが感ぜられる許りである。

[#ここから2字下げ]
まじものも夢も寄りこぬ白日に涙流れぬ血のぼせければ
[#ここで字下げ終わり]

 明るい真昼間、何の暗い影もない白日の下で、涙が溢れるやうに出て来るのは如何したことであらう。虫物《まじもの》のせゐでも夢のせゐでもあり得ない。血が頭に上つたからだ、外にわけはない。それならなぜ血が上つたのか、答ふるにも及ぶまい。

[#ここから2字下げ]
許されん願ひなりせば君が死をせめて未来に置きて恐れん
[#ここで字下げ終わり]

 この歌の値打ちは最後の「恐れん」の一句にある。この考へは遂に常人の考へ及ばざる所で、一人晶子さんに許された天恵のやうなものだ、これあるが為に歌が生きて来るのである。君の死を未来に置きたい位は誰も望む所であるが、置いて恐れようとは普通は考へないのである。既に恐れようといふのであるから、未来へ持つていつても現在に比しそれほどよいことにはならない。そこで許されん願ひなりせばと大袈裟にはいふものの、無理なえて勝手な願ひでも何でもない、今と大した変化を望んではゐないことになる。非望は人の同情を惹かない、もし「恐れん」がなかつたら非望になるのである。この歌の生命を分解すると先づこんなことにならうか。

[#ここから2字下げ]
ほととぎす東雲時《しののめどき》の乱声《らんじやう》に湖水は白き波立つらしも
[#ここで字下げ終わり]

 これも赤城山頂の大沼などを想像しての作であらう。山上の初夏、明方ともなれば、白樺林にはほととぎすが喧しい位啼き続けることだらう、その声が水に響いて静かなまだ明けきらぬ湖水には白波が立つことだらう。作者はこんな想像をめぐらして楽しんでゐる、而してそれを歌に作つて読者に頒つのである。

[#ここから2字下げ]
宮の下車の夫人おしろいを購ひたまふさる事もしき
[#ここで字下げ終わり]

 多分同行の近江夫人が先に帰られるのを送つて宮の下まで車で行かれた時、作者が降りると夫人も降りて、序に店へ入つて汽車中の料にする積りか何かの白粉を買つたのであらう。それを見て嘗ては私もこんなこともしたのだと往時を囘顧したわけである。この歌の面白さは、しかし、買ふものが白粉である所に存するので、さういふことは優れた作者だけが弁へてゐる。

[#ここから2字下げ]
ませばこそ生きたるものは幸ひと心めでたく今日もありけれ
[#ここで字下げ終わり]

 生の喜びまたは生命の幸福感を詠出したものであらうが、そののんびりした調子に何となく源氏の君を迎へる紫の上のやうな心持が感ぜられないでもない。

[#ここから2字下げ]
山山が顔そむけたる心地すれ無残に見ゆる己れなるべし
[#ここで字下げ終わり]

 山を見るに、けふは如何したことか、どの山にも皆顔を背けたやうな形が見える。私の姿がけふは特にみじめに見える為、見るに忍びないのであらう。一種のモノロオグで、わが衰へを自ら怪しむ心の影が山に映じ山をして顔をそむけしむるのである。

[#ここから2字下げ]
椿散る島の少女の水汲場信天翁は嬲られて居ぬ
[#ここで字下げ終わり]

 伊豆の大島の様なのどかな風光を描出する歌。椿と、少女と、水の少
前へ 次へ
全35ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
平野 万里 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング