らそんなものは価値がない、また技巧も旨過ぎるなどといふかも知れない。しかしそんな批判はこの歌の値打を少しも減らさない。ゴエテに「詩と真実」といふ表題の本があるが、それでも分る通り、詩は真実ではないのであつて、絵そらごとといふ言葉のある様に虚の一現象である。写生が作詩の一方法であつて、この方法を取つてよい詩の生れることのあるのは否定できないが、あくまで一方法であつて全部ではない。詩は事実ではない。作者の精神の反映である。実の反映も虚であり、虚の反映はもとより虚である。美は虚であり詩は虚である。この詩は作者の空想にあらはれた美が結実し言葉に表現されたもので、丁度作曲家の脳裏に浮んだ美が形を為し音楽として五線譜上にあらはれるのと同じわけである。詩は言葉の音楽であり、音楽は音波のゑがく詩であり、等しく詩人の心の表現でその本質は同じものである。又モネの画面などは絵具で之を試みたものだ。この歌などは色彩の音楽を言葉で表現したものでそれ以上詮索は無用である。しかし強ひて試みれば和蘭陀のある地方又は輸出百合を栽培する地方などにはこんな畑もないことはあるまい。

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更科の田毎の月も
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