生死《いきしに》の理も瞬間に時移るため
[#ここで字下げ終わり]
生死の理こそこの年頃作者の脳裏にこびりついて放れなかつたものの第一であらう。その作者に縁あつて姥捨の月を賞する日が廻つて来て、一夕田毎の月の実況を見た。しかし作者の場合には、その美に打たれる代りに、わが抱懐する哲学理念に比べて之を観察してしまつた。現在が次の瞬間に過去になる。生は現在、死は過去である。月が動き時が移る、その度に月影は一枚の田から次の田に移る、それが田毎の月で、前の田の月は死に、次の田の月が生れる。生死は二にして一、同じものの時を異にしてあらはれるものに過ぎない。さう作者は感じたのである。之を読むと作者は仏教哲学をもよく咀嚼してゐるやうである。
[#ここから2字下げ]
若き日のやむごとなさは王城のごとしと知りぬ流離の国に
[#ここで字下げ終わり]
これも言葉の音楽の一つ。故あつてさすらひ人となつた現在を以て、若き日を囘顧すればそれば王城の様に尊貴な時であつたといふので、それだけのものであるが、わが民族の持つ言葉の音楽としてやがてクラシツクとなるであらう。さうして神楽や催馬楽の場合に亜がう。
[#
前へ
次へ
全349ページ中64ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
平野 万里 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング