の作。寺を正抒しては 秋風が稲田の階を登りくる姥捨山の長楽寺かな となるのであるが、それだけでは情景があらはれない。そこでこの歌となる。姥捨山は姥捨の伝説をもつ月の名所であるから坊さん得意になつて縁起か何かまくし立てようとするのを聞きもあえず一喝を食はせた形である。歌人だから風流に秋風のやうに住菴なさいといふだけで、折角の名所に住みながらそれでは台なしですよとは言はない。この歌に似た趣きのものが、嘗て上林温泉に遊ばれた時のにもある。曰く 上林み寺の禅尼放胆に物はいへども知らず山の名 僧尼をからかふ気持は昔からあるが元来笑談のすきな晶子さんにこの種の作のあることもとよりその所である。彫刻師凡骨などのお伴をした時は、その度によくからかはれたもので蜀山流の狂歌が口を突いて出た、それを皆で笑つたものだ。
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白百合の白き畑の上渡る青鷺連《あをさぎづれ》のをかしき夕
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日常生活を一歩も出ない常識歌を作つて、それが詩でも何でもない唯言であることを忘れてゐる或は初めから御存知ない連中が斯ういふ作を見たら何といふだらう。作者の製造した景色で実景でないか
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