読めば完全に鑑賞出来ようといふものである。さくらびとは造語で舞子達の桜の花簪でもさしてゐるのを戯れたものと見てよからうか。勿論古歌のさくらびととは何の関係もない。
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故ありて云ふに足らざるものとせぬ物聞橋へ散る木の葉かな
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新々訳源氏物語が完成してその饗宴が上野の精養軒で開かれた。可なりの盛会であつた、その直後に伊香保吟行が行はれ、四五人で千明《ちぎら》に泊つた。私も同行したが、平常は分らなかつた衰へが、不自由勝な旅では表面へ出て来て私の目にもとまつた。前の車中の話の歌が心にしみたのもその故である。作者が初めて伊香保に遊ばれたのは「私の盛りの時代」と自らいはれる大正八年頃の事で沢山歌が出来てゐる。この行は夫妻二人きりのものではなかつたか。この歌をよむとその際であらう。物聞橋の上で何事かあつたらしい。物聞橋は小さいあるかなきかの橋ながら、私にとつては如何でもよい唯の橋ではない。その時は初夏で満山潮の湧くやうであつたが、今は秋やうやく深く木の葉が散つて来る。さうして私は一人になつて衰へてその上に立つてゐる。万感交※[#二の字点、1−2−2
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