誰にでもよいから試みに須磨にて桜の咲くのを見て詠めるといふ前書の歌を作らせたらどうであらう。これ以上の歌が出来ようか。私は出来まいと思ふ。啄木でも吉井勇君でも出来まい。いはんや他の諸君など思ひもよらない。須磨桜などいふ造語の旨さはたまらない。

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今日充ちて今日足らひては今日死なん明日よ昨日よ我の知らぬ名
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 これこそ晶子さんの一生を通じて生活の基調となつてゐた哲学であり宗教であつて、六十五年の偉大な生涯は唯その実行に外ならなかつた、しかし浅薄な刹那主義と混同して貰ひたくない。四十余年の長い間作者に接近した私としては、禅の即今に通じ、道元禅師の今日一日の行持に通じ、耶蘇の空飛ぶ鳥の教へに通ずる永遠の現在らしいものを生れながらにして身に著けてゐた人だと思ふ外はない。

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花吹雪兵衛の坊も御所坊も目におかずして空に渦巻く
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 有馬での作。何々坊といふのは有馬の湯の宿特有の名でその広大な構へと相俟つてこの温泉の古い歴史と伝統とを誇示してゐる。有馬には桜が多くその散り方の壮観が思はれるが、それが坊名
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