置かない。
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この山の泉にありと朝まだき我を見知れる風の驚く
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この風は 紫の我よの恋の朝ぼらけ諸手の上の春風かをる の春風であり、 伶人めきし奈良の秋風 [#空白は底本では欠落]であり 花草の満地に白と紫の陣立てゝこし秋の風 であり又 君まさず葛葉ひろごる家なればひと叢と寝に来た風 であり、更に かぶろ髪振分髪の四五人の子を伴つて通つた春風 である、既にそれ位親しい風である、その作者を見知らない筈はあり得ない。まさかと思つた伊香保の湯槽でぱつたり出会つたのだから風が驚いたわけだ。
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はらはらと葩《はなびら》のごと汗散ると暑き夏さへ憎からぬかな
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心の持ちやうで人生は如何にでも変化する、それは唯心論の立場であるが、それほどでなくとも芸術化することによつて地上もある程度住みよい所になる。作者などはその心掛けを忘れなかつた人だけに人よりも数倍よい浮世に住んだ人でもあつた。
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羅を昼の間は著るごとし女めきたる初秋の雨
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静かに降る糸のやうな初秋雨の印象である。その鮮かさは岩佐又兵衛の墨絵でも見るやうだ。
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大きなる桐鈴懸を初めとし木の葉溜りぬ海の幸ほど
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麹町の家は崖下の低い所にあつたので、秋の暮ともなればこの歌のやうに狭い前庭は落葉で埋つたことであつたらう。「海の幸ほど」は面白い、網の底に魚の溜つた光景で、落葉が生きてぴしぴしはねかへる概がある。
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聖書にて智恵の木の実と読みたりし木の実食らひて智恵を失ふ
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聖書にある智恵の木の実とは何であるか。アダム・イヴはそれを食べた許りに智恵が出てその罰として天国を追はれた。しかし私は同じ木の実を食べながら反つて智恵を失ひ愚かしい行をも敢てするやうになつた。否々私許りではない、恋をするほどのものは皆智恵を失つてしまふのである。
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櫨の葉の魚のさまして匍ひ寄るも寂しき園となりにけるかな
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櫨の葉は真赤だから、魚としたら錦魚か緋鯉といふ所であらう、それが池の中でなく、地上を匍ひ歩くのであるから思つた許りでも寂しいのに、それが歌の調子に乗り映つて索漠たる冬の近いことを知らせるもののやうである。
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常磐木の冬に立つなる寂しさを覚ゆる人と知られずもがな
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風霜に会つてその操守を変へぬ常磐木の心は君子の心であり、その寂しさは君子の寂しさである。さういふ寂しさを私が感じてゐるなどとは思はれたくない。君子などにはなりたくない。
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炉の火燃ゆフランチエスカのこの中にありとも見えて美しきかな
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ダンテの神曲の中のフランチエスカ・ダ・リミニのことであらう。炉の火から煉獄の火を思ひ、フランチエスカの出場となるので、斯うなれば富士見町の崖下に捨去られた一本のストオヴも大したものである。
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東山青蓮院のあたりより桃色の日の歩み来るかな
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雀百まで踊忘れずといふほどでもないが、久しぶりで昔の晶子調が出て来た珍しさを感じてその当時読んだ記憶がある。私は晶子秀歌選を作るに当つて「古京の歌」なる一巻を作り、そこへ京畿の風物の上に作られた若い時の作八十五首を収めたが「春泥集」以後この種の作はなくなつた。それが突如として第十六集「太陽と薔薇」の中へ出て来たのが、この歌である。流石にその調子には隙もなくなり落付きも出来てゐるが、内容の若さにはその日に少しも変つてゐない。それは中年に至るも少しも若さを変へなかつた作者の心そのままである。
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雫する好文亭の萩の花清香閣の秋風の音
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大正八年頃の秋水戸に遊んだ時の作。今の公園、昔の水戸城内の建物の名を二つ並べただけのことだが、その並べ方が天下無双で、丁度遠州や雪舟が庭石を並べるやうなものである。
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わだつみの波もとどろと来て鳴らす海門橋の橋柱かな
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おなじ折の歌。那珂川の河口にある橋であらう。いかにも波が来て鳴つてゐるやうな調子である。そのよさが分りたいなら野に出て秋風を三誦するに限る。
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光悦が金を塗りたる城と見ゆ銀杏めでたき熊本の城
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大正七年秋十一月九州に遊んだ折の作。清正は武人でありながら算数に明るく土木建物に長じた許りでなく美術をさへ解して居た様で、その作る所名古屋城
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