に借用した訳で、情景相即した趣きの深い歌である。
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冬来り河原の石も人妻の心の如く尖り行くかな
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冬ともなれば人妻の仕事が一段とふえるので、それに伴つて心が円味を失ひ自ら尖つてくる。丁度その様に河原の石も暖か味を失ひ、堅い影を帯びて尖つて行く様に見える。これは河原の石の印象を人妻の心であらはさうとしたものの様であるが、反対に人妻の心の尖つてゆくことを云ひたい許りに河原の石をかりたのかも知れない。
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従はぬ心は心いとせめて変りはてぬと人の云へかし
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どうも心が進まない、強いて心を翻へす様にし向けて貰ひたくない、又片くなな心だと思はれたくもない、従はぬ心はその儘そつとしてそれには触れずに、せめて晶子さんもすつかり変つてしまつたと位に云はれてやみたいものである。まあこんな風にやつて見たが、少しむつかしくてよく分らないのが真相である。
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女より選ばれ君を男より選びし後の我が世なり是れ
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このみじめさは如何です。これが沢山の女の中から私をあなたが選び、私がいひ寄つてくる多くの男の中からあなたを選んで、はじめて私達の恋は実を結んだのです。その結果が今日の有様です。これは悲観面であるが、反対に今日を讃美したものとも取れる。何れでも読者の好むやうに。
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彗星の夜半に至りて出づるとよ胸を云へるか空を云へるか
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これは何彗星かの出た頃の作である。今度の彗星は夜中にならなければ見えないと人のいふのを聞いて、はてそれでは丸で恋をして居るものの胸の中の様だと思つたのである。
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千万の言葉もただの一言も云はぬも聞きて悲し女は
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女はどんな場合でも悲しい。千万言を聴いて悲しむ場合もあり、唯の一言を聴いて悲しむ場合もあり、甚しい場合には云はぬ言葉さへ聴いて悲しむのである。而してこの最後の場合があつて一層悲しいわけでもある。
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町名をば順に数ふる早わざを妹達に教へしは誰れ
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小娘時代の囘顧で、幼時を思ひ出すいくつかの作の中でも最も罪のないもので、微笑を禁じ得ないがどこか才はじけた作者らしい俤があらはれてゐて面白い。
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夜明方喉いと乾くまだ斯かる心の苦には逢はずして死ぬ
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昭和三年頃病気をして入院された時の作。作者は結婚以来今日まで二十数年間其の間大小様々のことで心を苦しめて来たが、今朝夜明の苦しさに比すべき程の苦しみを覚えてゐない。それを忍び難い苦痛の様に思つたのは知らなかつたのであると共に、けさの喉の乾きに比すべきものに出逢はずに死んでゆけることをよしとせねばなるまい。これは兼て肉体を一方ならず重んずる作者に新たに一の例証を与へた経験でもある。
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ただ子等の楽しき家と続けかしわが学院の敷石の道
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文化学院の学監としての女史の面目がこんなによく出て居る歌はないと共に、女学校の教師の中にこれほど親切な心を持つた先生が一人でも多くあつて欲しいと思はれる様な歌である。つまり文化学院のやり方は生徒を楽しませながら教養を与へるやり方で著々その実をあげてゐる、唯その楽しい生徒が帰つてゆく家庭も等しく楽しい所であつて欲しい、それが憂鬱な場所、不幸な場所、悲惨な場所でないことを望まずにはゐられないといふのである。卒業式の日に一人一人が花束を貰ふなどいふ暖か味は晶子さんでなければ持ち合せなかつたことではないか。
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歎くこと多かりしかど死ぬ際に子を思ふこと万にまさる
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重態で死の幻を見た刹那の感想である。やはり子を思ふ不浄の涙が最後の涙である事を知つた偽らざる母性愛の姿である。精神は肉体に劣るが、強烈な恋愛も母性愛には若かないのである。
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真白くて五月桜の寂しきを延元陵に云へる僧かな
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昭和三年の晩春吉野に遊び後醍醐帝の延元陵に参られた時如意輪堂の僧でもあらうか、既に桜は散りはて五月桜の残つてゐたのをさう批判したのであらう。その心持はしかし吉野朝の心持でもあるのでこの歌となつたのであらう。
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人よりも母のつとめも知れるごと君あらぬ日に振舞ふは誰
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良人の留守ともなれば文人としての又愛人としての一面は後退し、母としての晶子さんだけが前進し活躍するのであるが、それが一寸自分にも面白いのである。
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山
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